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 自立に向かって

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年11月7日

福岡県広川町長  高鍋 具弥


広川町は将来どうなっていくのだろうかという思いが、一日の仕事を終えひと息つく時、私の脳裏をよぎる。日本経済は踊り場を抜け出したなどと、景気回復を示す言葉は聞いてはいても、身近な中小零細企業を見れば厳しい状況は変わらず、雇用環境も一向に好転してはいない。様々な「改革」によって住民の暮らしはどうなっていくのか、三位一体の改革の帰結によっては、広川町が財政危機に陥るのではなどと考えてしまう。
今日の社会・経済の変化が、経験に基づく将来見通しを成り立たせないほど大きなものであることが、不安を募らせる。
3年半前、私も厳しさを増す財政状況をまえに苦渋の決断を迫られた。私たちを育ててくれた広川町の歴史に終止符を打ち、「総合行政主体」を目指すことを選択し、相当の覚悟を持って合併の実現に向けて奔走した。中核市を目指す1市5町の合併協議会に、ある時は2市2町2村のかつての郡を枠組みとした合併協議、また、周辺との2市1町と、それぞれ時期を異にして協議を進めてきたが、いずれも破綻を来たした。テレビにも広川町の動きが特集番組として放映された。
いま、広川町では行財政改革の議論を進めている。過去の二度にわたる行政改革とは、その姿勢を全く異にしている。それは行財政改革の成否が、広川町の存続に直に繋がるという、瀬戸際にも似た状況に立たされているからである。行財政改革の目的は唯一つ、広川町の自立である。そのために、組織・機構、地域コミュニティ、事務効率、歳入促進、行政評価、民間委託など、これまで体系的に議論してこなかった課題についても挑戦をしている。多くの職員が議論に加わっている。 
合併せずに広川町のままで進むことを選択したいま、しかし、行財政改革の名のもとに、ただ々減量経営によって、これまでの行政のあり様、体質のままで進むのでは、何も問題の解決にはならない。自立を追求するなかで、「住んでよかった、住み続けたいと思う町」とは何なのかを改めて見極め、それをどう実現するか知恵をしぼらなければならない。 
広川町はこれまで、工業団地のアクセス道路の整備、九州縦貫道広川インターチェンジの開設などの道路交通網の整備、そして基幹産業である農業の基盤整備に力を注いできた。社会資本の整備を図るなかで都市化もいっそう進んだ。
将来の広川町を考えるとき、町長として取り組みたい事業は数多くある。また可能な限り住民の要求に応えたいという思いは依然として強く持っている。しかし、いまの広川町には、贅肉を限りなく取り払う一方で、住民が余暇時間を一人一人の趣味や趣向に応じて過ごすことのできる施設が何より必要だと考えている。そこを住民の交流と連帯を生み出す場にしたいと願っている。ただし、現下の財政状況では、いまは構想を暖める時期なのだと自分自身に言い聞かせてはいるが、是非とも実現したい事業である。
自立への途は容易ではない。すべてがパイオニアである。64歳、まずは体力を維持するために、週1回スポーツジムでのトレーニングに励んでいる。時間があれば職員の机の前まで行って話しこむ。小さな自治体ならではの楽しみであろう。また健康を保つ手立てでもあると思っている。
4年前の広川町の国勢調査人口19,779人、これまで増え続けた広川町の人口が、町制施行50年にあたる名実ともに節目にあたる今年、どう変わるか、国勢調査の結果を不安と期待のなかで待つ。