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 観光の村として村名に思うことと観光の再生を目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年10月10日

長野県白馬村長  福島 信行


長野県と言うと、山岳や高原、また温泉やスキー、そして信州蕎麦等が思い浮かぶことでしょうが、最近ではユニークな田中知事の県と言う方もあるでしょう。 
白馬村は長野県の北西部、北アルプス白馬岳の麓に位置し、スキーと登山を中心とした観光と農業の村として歩んで来ましたが、近年はパラグライダーやマウンテンバイク、カヌー、ラフティング等、空から水辺まであらゆるアウトドアスポーツが体験できるエリアと変化してきました。
昭和の大合併により昭和31年に白馬村が誕生しました。当時の村の指導者達は「新しい村は観光で生きてゆこう」という決意を持って北アルプス白馬岳の呼び名からハクバと読み代えて「白馬村」と名付けたものと私は勝手な解釈をしておりますが、当時にあっては大変斬新なネーミングだったと感じられるところです。
現在平成の大合併が全国的に進んでおりますが、自治体の新名称を巡って折り合いがつかず合併が破綻した例も少なからずあり、また、「カタカナ」や「ひらがな」の名称についても様々な意見が新聞や雑誌等の誌上で交わされているところです。
昭和と平成では社会的条件、特に住民意識や政治形態、自治体運営などは大きく様変わりしているところですが、自治体名は我が子の命名をするが如く地域の未来や生き方を込めて考えなければならぬと思うところです。
その意味において「白馬」という名前は非常に印象的であり、良い悪いに関わらずネームバリューを得やすいものがあります。先の長野オリンピックにおいて、外国の人々を含め多くの内外の皆様から「長野オリンピックというより白馬オリンピックですね」と言われましたのも、「白馬」の名の知らしめるところであったかと思います。今平成の合併で自治体名が話題とされるとき、戦後十年余り経た時代に「白馬」という名を付けた先達の方々の革新的な精神に感謝と敬意を表するとともに、更に先人の意志を受け継ぎ前進させねばと思うところです。
しかしながら、バブル崩壊以後地方の状況は厳しさを増す一方で、特に冬の観光を主産業とする我が地域は景気の波をもろに受けることとなります。長野県はオリンピックによりバブル崩壊が四年遅かったとも言われましたが、その分落差が大きくショックは増幅されたとも言えます。
観光の中でも費用がかかるスキーは特に景気の影響が大きく、白馬村へのスキー客は平成4年には280万人であったものが平成16年には150万人と半減してしまいました。 
そこでより足腰の強い観光地づくりを目指し、平成13年に長野オリンピック会場となった白馬ジャンプ競技場二十一観光振興対策会を村内外の有識者、観光関係者により立ち上げ、21世紀に向かって新たな観光戦略の構築をいたしました。 
白馬村は収入の八割が観光収入であり、宿泊施設はホテルから民宿まで700軒、約2万人の集客力があり、何らかの形で村民の大部分が観光に関わっています。そこでより官民の協働を強め、村民自らが考え行動する意識具現をするために、行政組織ではない「白馬村観光局」を設立することとしました。例を白馬村と友好提携を結んでいるヨーロッパの自治体に求め、フランスやオーストリアのスキーリゾートの観光局を参考としたところです。組織は「有限責任中間法人白馬村観光局」とし、職員14名は村からの派遣が3名、残りは民間企業からの派遣で構成されています。現在法人の代表は村長、局長は村の観光課長でありますが、近い将来は民間選出にすべきと思っています。
白馬村の1番の財産は自然景観と自然環境です。これを守り生かす施策こそ地域の素晴らしさと誇りを子孫に伝えて行くこととなります。村内には貴重な野生生物が多く生存しています。村では「白馬村版レッドデータブック」を作り、保護と啓蒙に努めています。また、看板規制や建築制限、色彩規制等、村独自の景観条例も制定しております。
昨年隣村の小谷村との合併が不調となりましたのは大変残念ですが、「世界の村白馬」、「賑わいの村白馬」を掲げ自立の村として観光を中心に来訪者にとっても村民にとっても居心地の良い村づくりを進めて参りたいと思います。