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 日本一の産地をめざして!

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年7月4日

岩手県浄法寺町長  清川 明彬 

  
昨年の秋、葉たばこ耕作農家にとって天敵である台風に見舞われた。日本一の耕作面積(400ヘクタール)を誇るバーレー種の生産農家は、一様に対応でおおわらわとなった。乾燥中のビニールハウスが強風で倒壊し、長雨は、乾燥中の葉にカビをまねき、根気を要するカビの除去作業を余儀なくされた。葉たばこは、雪解けの播種から、冬場の売渡しまでの作業の中で、刈り取り後の乾燥技術で製品としての評価が決まるのである。
ハウスの中は、常に温度や湿度の管理が重要で、手抜きをすると売渡しの時に等級判定と販売金額に直に影響を及ぼすので、カビ取り作業は大変である。葉のカビ部分に焼酎をつけ、歯ブラシで念入りに擦り取っていくしかない。作業場は一転、酒場程の匂いが充満し、飲んだように酔うのである。
“風が吹けば桶屋が儲かる”という話があるが、“台風長雨は酒屋が儲かる”ことになる。
たばこの歴史、伝来には非常に興味があるが、古来より諸説紛々であり、早くはポルトガル人が木綿たばこの種子を大友宗麟に送ったという説もある。
又、九州に渡来したポルトガル船の影響もあって、その後九州一円に栽培が広まり、鹿児島県薩摩半島の指宿では、国分村に慶長11年に試作として10アール栽培したのが始まりで、鹿児島の銘葉、国分のたばこの起源になっていると云う。
本県のタバコの歴史も、慶長年間まで遡ると云われ、当町では昭和30年に導入し、10.5ヘクタールを104人の耕作者で耕し、売上げは378万円からスタートをした。
以来順調に面積が拡大され、売上げが伸びてきたが、昭和60年に90年続いた専売制度から民営への歴史的改革を迎えた。公社から日本たばこ産業株式会社として、意識改革の下に合理化と新たな事業に活路を見出す為に出発したのだが、日本たばこ産業の合理化は生産調整にまで及び、平成元年には501人の耕作者が426人となり、耕作面積も448ヘクタールから330ヘクタールへと一気に廃作・減反が実施され、町の基幹産業を根底から揺るがしたのである。しかし、適地適作はもとより、耕作者の忍耐力と、意識や技術の改革により、平成4年には耕作者394人、耕作面積も332ヘクタールで、売上高も19億5,800万円と、いよいよ夢の20億円達成が目前に来たのである。
全国的に高齢化社会を迎え、農業後継者が育たないことや価格の低迷は、全国でも屈指の産地である福島県を大きく揺さぶり、不動の地位を明け渡す事態に発展、岩手が日本一の座についたのである。
町の農業生産高40億円の50%である葉たばこは単年作であり、真面目に良質葉を生産すれば、これ以上のよい換金作物は今のところ見当たらない。
しかし、近年、歴史ある“たばこ”も環境や健康面で大きく取り上げられ、国の『健康にっぽん21プラン』に準じて策定された平成13年の『健康いわて21プラン』は、一大産地の農家にとって大問題となった。県内の成人喫煙率の目標数値を20%以下にするというもので、生産者にとっては死活問題ともなった。県内最大の産地を代表し、当時県保健福祉部長に数値目標について撤回を求めた。健康増進と産業保護、農業振興のはざまで大議論となったのである。
人口5,300人弱の町の経済を支える葉たばこは、平成16年度は日本一の売上げと20億円達成を目標に、生産性の向上、コストの低減等一丸となって経営努力をしたが、惜しくも売上げ日本一は青森県三戸町に譲った。しかし、2年連続で20億円達成を果たした。また今年は、昭和30年に葉たばこを導入して50年が経ち、同時に町制施行65周年を迎えることとなった。
来年1月1日に隣の二戸市と合併になることから、町として6月に盛大に記念式典を開催した。今後は安定経営を目指して、若者に自信を持って引き継ぎ、名実とも日本一の産地づくりをしていきたいと考えている。