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 平成の大合併

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年5月23日

新潟県聖籠町長  渡邊 廣吉


今、全国各地で市町村合併が推進されている。本県でも、県が合併パターンを示した2000年度に111市町村であったが、再編されて来年3月には、35市町村になる。本町に隣接する市町村の動向としては、南隣の新潟市が3月21日に13市町村と大同合併し、2年後に日本海側初の田園型政令都市を目指した。また、郡内で2市10町村あった行政圏域で9月に3市1町となってしまう。
このような現状の中、本町は2002年度に、関係する市町村との合併協議に入る前に、住民の視点に立ち、「合併ってなに・・・」、「今なぜ合併なのか・・・」など、市町村合併について住民への説明資料をまとめ、全戸配布した後、町内27会場で住民説明会を開き、住民アンケートを実施した。
アンケートは住民の半数以上にあたる約7,000人と中学生全員、また特定重要港湾新潟東工業港の背後地の工業地帯に立地した企業の皆さん 社にも協力していただいた。その結果、回収率94.1%で、合併反対が全体で73.9%、中学生は何と合併反対が91.6%という結果となった。もちろん、市町村合併は強制ではなく、その町や村で暮らす住民の自主的な判断に委ねられていることから、首長としての私の判断も当然民意を反映する立場でこの結果を真摯に受け止め、本町は「当面、市町村合併はしない」独自のまちづくりを進めることを決断した。
そして当然ではあるが、関係する市町村との合併協議には入らず、独自の道を歩む旨を伝えて理解を求めてきたところである。
本町がこのように「当面、合併をしない」と判断した背景には、1960年代から始まった新産業都市建設促進法に基づく新潟東工業港の開発が大きな要因となっている。この開発というのは、県都新潟市と本町の境界の日本海から内陸を掘り込む港湾建設と港湾背後地に工業用地を造成する新潟県の大事業である。これにより、大小集落に暮らす500世帯を超える住民の皆さんが昔から住み慣れた集落を離れ、先祖伝来の財産を売却し、墓石を背負っての大集落移転を余儀なくされたのである。現在では、その広大な土地に工業団体が造成され、火力発電所など大小100社を超える企業が立地している。そのお陰もあって、工業団地に立地した企業の火力発電所など、大規模償却資産の固定資産税や法人町民税など町税等の収入が比較的大きいことから、財政基盤が安定し、財政力指数も100を超えて1984年度から現在まで普通交付税の不交付団体となっている。また、今後の長期財政計画で厳しい状況は予測されるが、行政改革を断行し、行政コストを抑え、かつ行政サービス水準を維持していく中で、住民とまちづくりを共有し、自己決定と自己責任の下で協働して個性的で魅力あるまちづくりを期待できる状況にあると認識したことも合併をしないと判断した一因であろう。さらに、住民の皆さんが苦渋の選択を強いられながらも、長年にわたり開発に協力し、共に町政発展の為に努力してきた一念と、現実の故郷の姿に信頼と誇りを持ち続けてきたからでもあろう。
さて、本町の取り組みはさておき、市町村合併の特例期限がこの3月で切れ、さらに1年延長されたという現状において、全国津々浦々で、国が求める再編の目標には至らないものの、合併を求められたそれぞれの市町村が、一抹の寂しさを感じながらも将来への展望と住民の永久の幸福を願い、住民とともに命がけで苦渋の決断を求めて努力し行動された姿勢に対し、深甚なる敬意を表し、その成果を評価したい。また、時に自身の進退を賭けて強いリーダーシップのもとで、住民と共に合併を成し遂げられた首長の皆さんにも、心から敬意を表し、お祝いを申し上げたい。
このような状況下で、平成の大合併が推進されてきたが、大義を持って苦渋の選択により合併された多くの市町村が、将来に禍根を残し悔やみ恥じることのないように、国の心温かい財政支援の履行と、地方分権の推進と相まって三位一体改革などの大義に立った国策の推進を期待したい。 本町もやがては第2波、3波の段階で、市町村合併を現実のものとして受け止めなければならない時期が到来するものと考えながら、住民と共に今後の推移を見守りたいものである。