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 大空に、夢を広げる凧のまち 大門町

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年1月17日

大空に、夢を広げる凧のまち 大門町

富山県大門町長 田所 稔

  
総理官邸へお届けした「シシロウ飾り凧」は、我が国経済活性化の一助になったのではないかと内心喜んでおります。と申しますのは、以前に、中沖前富山県知事から「麻雀と選挙と景気は上がらないと駄目。」ついては、縁起が良く、天まで揚がる「越中だいもん凧」を持って小泉総理を激励して来なさいと言われ、おそれながら、日本の凧の会の茂出木会長と同行し、お願いしてきた経緯があるからです。

ここで、そもそものお話を致しましょう。実は、日本列島の重心が富山県。その中央部に位置する、わが大門町には川幅400mの一級河川・庄川が流れております。(太平洋側への流れは長良川に)

その豊かな清流に生息する鮎は四万十川に匹敵する特産品となっているほか、3万尾の鮭が産卵のため遡上する光景は秋の風物詩としても有名です。また、その灌漑用水で育つコシヒカリは、町を代表する農産物であり、他にも、マスカットオブアレキサンドリアやコマツナなどの生産も盛んです。このように、庄川は長年、町の貴重な資源として内水面漁業と農業を支え、上水道水源としても役立ってきました。

この広大な河川空間と川風を利用し、町おこしの一環として、毎年5月の第三土・日曜日に、「越中だいもん凧まつり」を開催しております。きっかけは、昭和54年の国際児童年を記念して、子供の健やかな成長を願ってスタートしたことからです。

まつりが近づくと、自治会・児童クラブや関係団体、周辺市町村、協賛企業などの皆が集まって凧作りが始まり、骨作り・和紙張り・図案作りとそれぞれ分担を決め、子供から大人まで一緒になって色々なデザインの凧作りをします。3畳くらいの小さなものから、24畳もある大凧を作り上げる団体もあり、皆の力を結集して仕上げた大凧は、まつり当日、引き手全員が力を合わせると、空高く舞い上がります。凧が揚がるこの瞬間こそが最高の喜びであり、このために、日夜苦労して凧作りに励んでいると言えるでしょう。

凧まつりは、住民はもとより全国各地からたくさんの愛好者が参加する大イベントになり、一昨年の第25回は世界大会と銘打ち、外国選手を招待するほどの盛況となりました。また、8万人を超える見物人が訪れ、年毎に賑わいが増しております。このような盛り上がりが高く評価され、平成12年に保利自治大臣から「住民参加のまちづくり表彰」をいただいております。

いずれにしても、「五月晴れの大空、庄川にそよぐ薫風を受け、色とりどりの凧が天高く舞い上がる」光景は、わが町の宝です。市町村合併後も更に、交流を拡大し、魅力発信の場として庄川にロマンを描き続けていくことが大切であり、そのために努力していきたいと考えております。

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【一口メモ】 「日本の凧の歴史」
凧の起源はよくわかっていませんが、ヨーロッパでは「ドラゴン」(中国の龍)と呼ぶ地域が多いことから、一般に、紀元前に中国で生まれ、朝鮮、日本、東南アジアを経てヨーロッパやアフリカへ伝わったといわれています。

日本では、平安時代に書かれた「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」に「紙老鴟 (しろうし)」という鳶(とんび)型の凧が記されています。元禄から享保年間には錦絵などから絵を採った日本独特の角凧(かくだこ)が現れ、安永年間には鳶凧の変形ともいえる「奴凧(やっこだこ)」がつくられました。

そのほか、全国各地でそれぞれの地域、風土に根ざしたさまざまな凧が考案され、骨組み、糸のつけ方などいろいろな工夫が凝らされており、中国と並び世界で凧が

もっとも進化した地域といわれています。

(参考文献:茂出木雅章(日本の凧の会会長)著「凧 たこ THE KITES」ほか)