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 リゾート施設を中心としたまちづくりへの挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年10月18日更新

リゾート施設を中心としたまちづくりへの挑戦

長崎県伊王島町長  池下 守

  
伊王島町は、鎖国時代の日本における唯一の外国との貿易の窓口であった長崎港の南西約10㎞の沖合にあり、おおよそ南北に横たわり、伊王島と沖之島の二島からなっている。島の周囲は約13㎞、面積は2.26平方kmの「外海本土近接型離島」であり、本土側の隣町である香焼町とは海をはさんでわずか550mの距離にあり、平成9年度からこの間を結ぶ「伊王島大橋」の建設工事が進められており、いよいよ平成16年度中には、橋脚工事に着手する予定になっております。

本町の歴史は、古くは漁業を中心とした生活をしてきたが、昭和16年2月に伊王島炭鉱が開坑されてからは、島の基幹産業として発展の一途をたどり、昭和37年の町制施行時には、7,600人余りの人々が生活し、炭鉱の町として栄えた。しかし、昭和47年の炭鉱閉山によって、炭鉱従事者及びその家族は島を離れ、「離島・過疎・旧産炭地」の三重苦を背負い、かつては賑わいを見せた炭住街は廃墟と化し、疲弊の一途をたどりました。

そのような状況にあった昭和60年に伊王島の町長の職をおおせつかっておりますが、私は、なんとかして、この島をもう一度立ち上がらせなければいけない、まちに活気を取り戻したいという思いから、ただやみ雲な開発ではなく、伊王島の豊かな自然、心温まる人情等、島の特徴をいかしたリゾートホテルを中心としたまちづくりに取り組みました。このホテルは、平成元年7月にオープンし、県・町・地元企業が出資して設立した第3セクターの成功例として、平成2年11月に地域づくり全国大会において国土庁長官表彰、さらに平成4年度には、全国町村会優良賞を受賞するなど、脚光を浴びていましたが、長引く不況のあおりを受け平成14年1月に閉鎖に追い込まれてしまいました。

炭鉱閉山後の暗い時代を経験した私は、あのようなつらい状況にしてはならない、13年かけて築き上げてきたリゾートの島としての風土と施設を廃墟にしてしまうのは、なんとしても避けなければならない。町民の心配する姿を見るたびに、自らを奮い立たせ、リゾート施設の再興のために、全国を飛び回り交渉にあたりました。

しかし、施設を買い取って運営していただく企業が見つからなかったために、国・県・関係機関の温かいご支援とご協力により、町が施設を買取り、施設の運営を全国的にホテル業やレジャー産業を手掛ける民間企業に委託して、料金設定も以前より低価にした「公設民営」の施設として、平成15年7月に再スタートを切る事ができました。更に、運営委託先の企業が、自費を投じて温泉掘削に着手し、見事、県内でも有数な湯量を誇る温泉を掘り当てる事ができ、夏型のリゾート地という従来のイメージを大きく変え、年間を通して集客ができる通年型施設として出発でき、今日に至っております。

この公共の宿「やすらぎ伊王島」にもお子さんと、ご夫婦或いは高齢者を含めたファミリー層や、若年層の多くの宿泊客が訪れています。島には、また賑わいと町民の明るい笑顔が戻り、リゾートのまちづくりを不屈の思いで信じ続けてきて、本当によかったと、改めて実感することができました。

また、離島であるため集客対策上の問題点となっておりました、本土側の駐車場の確保、輸送コスト高につきましても、関係機関の多大なご尽力により、低コスト化にご協力賜っているところではありますが、自動車の普及により、行動範囲の広域化、交通網整備による移動時間の短縮化に伴い、車で移動する観光客が増えております。観光ルートの新たな開発には現在、県の事業で建設中の「伊王島大橋」の早期完成はホテル経営のみならず、離島の抱える諸問題の解決に重要な役割を担っていると言えます。一目も早い完成を目指し、全力を傾注して参る所存です。

炭鉱の島から大転換し、「リゾートの島づくり」を始めて16年、伊王島町は交流型社会の潮流にうまく乗って、持続的に観光・リゾート人口をいかに誘引するかは、今後においても第一の柱になると思います。これまで同様の方策だけで更なる発展を実現できるかは楽観できないので、新たな付加価値を模索し、更なる交流型社会の構築を図っていきたいと考えております。