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 住民参画による「まちづくり」

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年9月27日

住民参画による「まちづくり」

京都府井手町長 汐見 明男

  
「井手町」は、京都府の南部に位置し、町内を国道24号線とJR奈良線が並走し、古い都「奈良」と「京都」の中程にあります。

面積は18.01km。人口は、7月末で8,848人と都市近郊にありながら小さな町でありますが、かつては警察署・保健所等の公共機関があり、商店街も繁栄した綴喜地方の中心地でありました。

棚田や緑映える里山と木津川のさわやかな清流に育まれた本町は、万葉の昔から歌枕の里として知られ、特に、奈良時代にこの地に住み井手寺を建立した左大臣橘諸兄、その井手寺で晩年を過ごしたとされる平安の女流歌人小野小町(おののこまち)の墓と伝えられる小町塚等、古の和歌や物語に描かれた「ゆかりの場所」や「史跡」が多くあります。

井手町の自然は、町の7割近くが急峻な山地であることから、幸いにして開発から免れ、春の桜に始まって、橘諸兄が植えた日本六玉川の一つ「井手の玉川」堤の山吹が、清流でのゲンジボタルの涼しげな光が、そして、井手の里山が、野や田畑を彩り四季折々に咲き乱れる草花が、野鳥のさえずりが、人々の目を楽しませ、心を洗い、井手町の自然は元気一杯です。

これまでの井手町は、昭和28年8月15日未明に襲った「南山城大水害」で、尊い107名の命と貴重な財産を奪われ、その傷跡が癒えず復旧途上の昭和34年「伊勢湾台風」の襲来。小学校の火災。財政再建準用団体の指定。第二室戸台風の襲来等により、災害からの一日も早い復興と財政再建や、災害等で遅れた行政水準を取り戻すことにありました。

今日では、他の市町村並みの行政水準が維持できるようになり、先人のなみなみならぬご努力に感謝しているところであります。

町長に就任して3期目、住民参画のまちづくりをめざし、これまで数多くの団体との「懇談会」を開催し、住民総意による「第3次井手町総合計画」を策定し、豊かな自然こそ井手町の最大の財産であることから、「豊かな自然と、利便性・快適性とが共存する新しいまち」づくりに努めています。

その住民参画による「まちづくり」の一端をご紹介いたします。町内のまちづくりにかかわる各団体が結集してまちづくり協議会を発足され、その活動の拠点とし、また、町内外の人々の交流の場として、平成15年春に「まちづくりセンター」を開設し、管理、運営の全てを当該団体にゆだね、毎月の定例会議により、改善を重ねながら進めていただいています。

また、京都府の自治体では初めて立命館大学との間で「社会人推薦特別選抜入学試験制度」の協定を結び、社会人入学の奨励金助成を設ける他、立命館大学「政策科学部」と提携し、「まちづくり」構想や行政組織の活性化等に取組む「プロジェクト・インターンシップ制度」を発足させました。

また、各行政委員に各界各層からの参画を図るほか、住民主体による「橘諸兄奈良時代絵巻行列」や「さくらまつり」「山吹マウンテンバイク大会」等、数多くのイベントが開催され、まちの活性化に努めていただいています。また、各種団体による町内の清掃活動も活発に実施され、中でも、毎月1回、実に今日まで130回余り続けられている団体もあり、頭の下がる思いであります。

さらに、豊かな自然や環境を守るため、「緑の少年団」や「ゲンジボタルを守る会」等、自然保護団体も結成され、独自に、その活動が進められており、行政としても、これらの活動を支援するため、環境保全条例をはじめ、各種保全条例の制定を進めて参りました。

この結果、住民参加による「活力あるまちづくり」が認められ、平成14年1月に総務大臣表彰を受賞いたしました。

そして、永年の住民の悲願でありましたJR奈良線「玉水駅」に快速電車が、関係者のご尽力で終日停車することとなり、来町者の増加に伴い、住民有志のボランティアによる「ふるさとガイド」が結成され、来町者の案内に努めていただいており、好評であります。今後とも、住民が参画する「まちづくり」に努めて参る所存であり、関係各位のご指導、ご鞭撻をお願いするところであります。