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 就任14年を振り返って

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年9月6日

就任14年を振り返って

滋賀県町村会長
 中主町長
 田中 政之


昭和58年、前町長の助役として町行攻に携わるようになり7年間が過ぎた時、突然に起こった町長の辞任。議会より推薦を受け町長選挙への出馬を決意、幸いにも選挙の結果は初陣ながら無投票当選となり町行政のスタートとなりましたが、船出の行政課題も多く多難をきわめておりました。

その第一が、広域行政で取り組まなければならない火葬場建設問題でありました。建設場所は本町ではありませんが隣市地先とはいえ、本町の一集落が一番接近している地先なので、集落ぐるみで建設阻止運動の展開となりました。自治会役員と再三話し合いをいたしまして一応の理解を示され一歩前進かと思いましたが、突然に起こった役員の不信任。白紙撤回を求めるグループから出された住民集会の結果、不信任決定となり火葬場建設阻止委員会が結成されました。

平成3年2月、降りしきる雪の中での対話集会。約300名の皆さんを相手に延々2時間、烏合の皆さんとは話し合うことも出来ず罵声の飛び交う中での物別れとなり、後は代表者を選出し話し合うことで解散となった。

その後、建設阻止委員会の皆さんと何十回と話し合いを持ちましたが話しは進まず、抗議集会・対話集会の繰り返しとなりました。抗議集会では、私邸前で夜8時から3時間、連続11ケ月の抗議行動をされ、堪え忍びながら公共性の必要性を説き続けましたが相手にしてもらえず、とうとう建設差し止め訴訟事件となり対立が続きました。

この聞、公判中と云うことで中断したようになり結審待ちとなった次第です。地方裁判所2年、高等裁判所、最高裁合わせて5年間の裁判の結果は、いずれも行政側の勝訴となりました。その内容は、公共性の必要性、公害防止機器の進歩により、これ等の障害問題は社会的な見地から住民の受忍の範囲であるとの見解が示されたものでした。住民の皆さんの断固阻止の姿勢はくずれなかったが、住民の中には「敗訴だから考え直してはとの声もちらほら出ておりましたが、集約することも出来ない状態でした。

一方行政側は、勝訴ですので建設することと決定、起工となった次第で、起工式は、囲いの中で執り行われましたが、囲いの外では反対住民の集会があり騒然とした中での行事となりました。 

事は終わり、建設着工となり2ケ年での竣工でした。平成14年4月供用開始となり、反対住民の皆さんも大多数の方々が利用されております。しかしながら建設反対の看板は降ろしてもらえず、また自治会としては行政事務返上で、行政とのつながりを持っていない為、集落全体の利便性が損なうようになり発展を阻害している状態が続いておりました。

その後、自治会役員の改選を契機に勇気ある住民が立ち上がり、今までの遅れを取りもどし集落の自治会活動を活発にして住民の幸せの為に立ち上がろうと呼び掛けられ、少グループながら改善への道が開かれていきました。そして、「建設反対「白紙撤回」の看板も取り除かれ反対運動の姿は消えました。

12年間に及ぶ住民対応には、それぞれの思い、反省もありますが、真の住民自治の構築が出来たことに感謝しております。リーダーによってどちらにでも傾く烏合の衆。本気で立ち向かう姿勢が必ず相手に通ずることを忘れてはなるまい。

町村合併もしかり、住民による佳民の為の市制でなければならない。新市のスタートに大きな期待をしながらとじることと致します。