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 古き日本の首都、明日香

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年3月1日

奈良県町明日香村長  関 義清

改めて言うまでもありませんが、ASUKA(飛鳥とも明日香とも書く)は日本のみならず外国の人が耳にしても非常に心地よい響きを持つ言葉ではないでしょうか。今や日本中どの地域の人もご存知の、非常に美しいと感じるこの表記は現代人が宣伝用につくりだしたものでも何でもなく、1,400年以上の歴史を持つ言葉なのであります。
そんな明日香村の「村長 」という職にある小生は、7人兄弟(男4人、女3人)の5番目の四男として昭和15年に生をうけました。父親が昭和27年1月に46歳で他界いたしましたため、母親の苦労はいかばかりであったかと思われます。村長になってからも、60歳にもなるこの私に「人に決して迷惑をかけないようにしなさい」と口癖のように言っておりました。そんな母親も平成12年6月に92歳でお浄土に召され、今さらながら親のありがたさを痛感しております。
親の家業が運送業であったこともあり、高校を出てからは運転手として無我夢中で働きました。荷物の運搬を通して多くの方々とのおつきあいができるようになったのは私の大きな財産だと思っております。おかげさまで、いろんな職種の方ともお話しができ、教えていただいたことがたくさんありました。そういった意味からも親に感謝すべきかもしれません。
平成4年、私が村長選に立候補したときには「何人目のお子さんが出られるのですか」という言葉から始まった、いやはや大変な選挙でありました。平成16年5月をもって3期12年を努めさせていただくこととなりますが、明日香村長の重責を今もって痛感いたしておるところであります。何の準備もなく選挙に出たことと慣れない仕事の連続で半年で体調を崩し、1年持つかなという思いもいたしましたが気取らず自分なりのカラーで務めさせていただこうと考え、はや12年になろうとしております。
現在、建設業を営んでおりますが、村長を務めさせていただくからにはということで立候補以来、私どもの会社は明日香村の事業からは除外いたしました。未だに妻からは「早くやめて家業を助けるように」と言われている次第です。
さて、明日香村は国民の皆さん方にもよくご理解いただいておりますとおり、日本の心のふるさと、日本国政府の原点であります。そのため、国家的事業として一自治体でありながら特別立法を持ち運営しているこの村は他の自治体とは大きく異なるのであります。
そして、この法律は住民生活におきまして良いこともありましたが悪いことも多々ありました。良いことは伸ばして悪いところはできるだけ小さく、国民の皆さん方の思いにお答えできるよう頑張ってまいりました。おかげさまで明日香村は日本一の村になったと自負しておる次第であります。
また、国の「聖域なき改革」のもと合併問題に取り組みましたが、今までの歴史や住民の思い等々をかんがみて合併協より離脱をいたしました。今、まさに全国の方々から励ましやお叱りを受けておるような次第で、心ならずも物議を醸し出しておりますが、「利他」という言葉を座右の銘として日本のふるさと明日香を信じてかんばっていきたいと意を強くしております。
最後に、明日香村は環境、自然、歴史、村民、どれをとりましてもオンリーワンであります。写真でもご理解いただけるかと思いますが、日本人の心のふるさと、国家原点にぜひお出でいただきますよう、村民一同心よりお待ちいたしております。