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 まさかと悪代官

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年2月16日

島根県町村会長
 八雲町長
 石倉 徳章

日本最古の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに・・/」が詠まれた地であること、別称日の本火出初の社(ひのもと ひでぞめのやしろ)といわれる熊野大社を容していること等から出雲文化発祥の地と謳われる本村である。人口7,200人、地方都市近郊農山村である。
村誌をひもとくと本村の歴史から中世が抜け落ちている。時の中国地方の雄、毛利氏に敗れた尼子一族の支配下にあり当地方は殆ど焼き尽くされたのではと推察されている。古い時代からの建造物などは残っていない。
ご多聞にもれず社会の高度経済成長の中で本村も人口流出過疎化が進み、昭和49年には、それまでの5,000人の人口が3,900人程に落ち込んでいった。
官民を超えての人口増対策、団地計画、美しく豊かな農村環境、文化的背景の中、県庁所在地松江市との隣接という地理的条件にも恵まれていたこともあって、人口は増加の一途を辿り微増ではあるが、8,000人程度になるものと推計している。
今、地方自治体は、財政問題、合併問題に大きく揺らいでいる。一時のふるさと創生や新しい地域づくり等の元気度は遥かかなたにかすむ自治体も多いはず。自身、無力感、焦燥感に悩むこの頃である。地域づくりに熱き思いをかける多くの人達の心境でもあろう。
我々の町や村が今日的な財政状況に陥るとは、市町村合併の渦中に至るとは考えもつかぬ「まさか」の感極めて強きものがある。紛れることなく誤りなき選択や行財政改革が求められる剣が峰に立っている。我々は地域の運命、住民の命運を荷っている訳である。
選択いかんで、舵取り次第で、将来の歴史の中で名代官にも悪代官にも名を連ねる可能性も秘めている。
平成の初め、郷土島根が輩出した二人目の総理大臣、竹下元総理の話し、「新税はどんな税でも悪税と言われる」「将来の歴史家が正しさを証明してくれる」という消費税導入についての話を想い起こしている。
竹下総理は消費税導入を果し功労者となられた。
人生にも社会にも「まさか」と思う事が度重なるといわれる。
自分の健康についてみれば、村長就任3年目48才の時、狭心症で倒れた。3ヶ月毎に治療を重ねた心臓血管が狭窄する連続であり、日赤病院の中でバルーン治療の最高回数患者になっていた。年5回数年に亘った。爾来13年「まさか」の今日である。健康を完全に取り戻した訳ではない。病気が進行せず停まってくれている。
施策でも思いがけない事もあった。成功も失敗も経験した。
平成6年ふるさと創生事業で温泉施設を計画した。
宿泊棟、レストラン、宴会場の他プール、ウォタースライダー等を含む総事業費24億円の大事業であった。経営に失敗は許されないと覚悟はしていた。そこへまさかの年間30万人が押しかけて来た。60名程度の雇用の場となった。 
開店以来8年、黒字は続いているが売上は確実に減少に向かっている。
赤字への転落、累積負債の発生ともなれば、批判の的となるのは当然であろう。
又、日本で初めての公設民営の小さな木の劇場を建設、アマチュア劇団を招聘し演劇を通しての地域起こしを事業化した。地元の反対や議会を説得し順調に進んで来ている。
劇団員も都会から地元に定着した人も数人、県内国内公演はもとより、国際演劇祭も2回開催した。村の人口と同じ程の7,000人が参加する様になっていた。学校での授業にも演劇を取り入れている。地域づくりに大きく貢献してきた。まさかこうまでになろうとは誰も予想していなかった。しかし、一歩狂えばこの劇場は使われない小屋に陥る危険性もある。
今日、社会は大変革を見せている中で、大きな事件や出来事も枚挙にいとまがない。直近では、イラク戦争、日本の自衛隊海外派遣にまで及ぶとはまさかの連続は更に続く。
地域経済停滞、財政の危機的状況、合併問題、山積する課題の中で「まさかの悪代官」に至らぬ様、身を粉にした努力が必要と痛感、だが案ずるよりも生むが易しか、合併して村が消えても地域が生き生きと残る方策の確立等を目指すなかでそんな想いの日々である。