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 冒険と町政

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年12月22日更新

兵庫県日高町長  清水 豊

日高町は兵庫県の北部に位置し、人口は18,410人(12国調)、面積150.24平方km、林野率75%の町です。古くは但馬国分寺、国府庁があり、現在は神鍋高原を中心に四季を通して年間100万人の交流人(本町では「ひだか人」と云っている。)が訪れます。関西ではアウトドア・スポーツのメッカとして知られています。
『未来を拓く  但馬の新十字路』をまちづくりの柱に町政を担って、この11月で21年目に入りました。6期目となる今期の途中には近隣の市町(豊岡市、城崎町、竹野町、出石町、但東町)と新しい市を創造する大きな「冒険」に乗り出すことになっています。順風満帆の航海とはいかないまでも、暗礁に乗り上げ、座礁しないように勇気と決断をもって挑戦しなければなりません。
冒険ということでは、本町は冒険家・植村直己さんの生誕町です。植村さんが1984年2月、厳冬のアラスカ・マッキンリーで消息を絶ってから、はや、20年の歳月が過ぎてしまいました。植村さんは高校を卒業するまで日高町で過ごしています。大学卒業後、世界放浪の旅に出て、冒険行を開始します。植村さんの前人未到な冒険行への尊敬は勿論ですが、彼が足跡を残した世界中の滞在先で、今でもあの人懐っこい笑顔とともに、「ナオミ」の愛称で敬愛を込めて呼ばれ続けていることに、私はとても感銘を受けています。ここにこそ「私の植村さんがいる」と強く感じ、嬉しくなります。
1994年(平成6年)に「植村直己冒険館」を建設し、1996年には「植村直己冒険賞」を創設しました。賞の目的には「植村直己氏の精神を継承し、周到に用意された計画に基づき、不撓不屈の精神によって未知の世界を切り拓くとともに、人々に夢と希望そして勇気を与えてくれた創造的な行動について表彰する」と謳っています。背景にあるのは古里への愛と誇りづくりです。本年までに8人の方に冒険賞を受けていただきました。第1回から名前を挙げますと、尾崎隆、米子昭男、関野吉晴、大場満郎、神田道夫、中山嘉太郎、山野井泰史・妙子夫妻の各氏です。
この方々は、本町の自慢です。そして宝です。植村さんの縁で日高町としっかりと結ばれています。そして「ひだか人」でもあります。例年、授賞式を6月に行っています。授賞式には小・中学生から一般町民まで集まります。開会は植村さんの母校である府中小学校児童の演奏する「オーロラを翔ける」です。リコーダーの音色が聴こえ始めると同時に、恥ずかしそうに笑みを浮かべた植村さんの姿が瞼に浮かびます。
授賞式では選考委員の先生方から受賞者の受賞理由の紹介があります。本年は石毛直道先生にお願いしました。この時の先生方の話も楽しみです。と云いますのも、先生方は必ず会場の小・中学生に語りかけて下さるからです。石毛先生は「若い皆さん、今あなたにとっての冒険はなんですか。冒険は他人の評価を求めて行うものではありません。自分で計画を立て、成し遂げられた心の満足感を味わえばいいのです」と話されました。
7回目となる2002年度の受賞者は登山家の山野井泰史・妙子ご夫妻でした。夫妻のパネルトークを聴きながら、中国とネパールの国境に聳える、7,952mのギャチュンカン峰北壁を登頂され、無事生還されるまでの想像を絶する極限状態のなかでのお互いの思いやりには思わず目頭が熱くなってしまいました。妙子さんの左手には凍傷手当ての包帯が巻かれたままであったのが印象に残りました。
本年の授賞式をさらに印象深くしましたのは、山野井泰史さんのご両親も一緒に来町され、後日、丁重な滋味溢れるお手紙を頂戴したことです。手紙には「日高町の皆さん有難うございました。日高町の名がもし消える事があっても偉大な冒険家を生み育てた町、人情溢れる町、静かな高原の町は消える事は無いでしょう。これを守っていける町です」と結んでありました。思わず「ありがとうございます」とつぶやいていました。
いよいよ山場を迎えている市町合併協議の中で、植村さんからは失敗することを許されない、大きな冒険に乗り出す勇気と励ましを与えていただいています。