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 仕事と運

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年11月10日

静岡県函南町長  芹澤 伸行

平成6年4月の初当選以来本年で10年目、町づくりのコンセプトとして「快適な環境、創造性豊かな都市(まち)かんなみ」を掲げ、町づくりに励んでまいりました。
これまでを振り返りますと様々な出来事がありました。就任早々、当町では既に焼却場の建設が決まっておりました。(待てよ・・・焼却場よりも先にやるものがあるのではないか?そうだ、これからは少子高齢化の時代に入るぞ。)そこで、保健福祉センターの必要性について当時の助役に相談を持ちかけたところ快諾してくれ、保健福祉センターの建設を焼却場より先に進めることとなりました。するとその後、ダイオキシン対策のため、平成10年からは、排ガス中のダイオキシン濃度を0.1ng以下にするようにとの指示が厚生省より出されました。当初の計画では、焼却場は平成9年度に完成予定でしたので、もし計画通りに建設されていたら、完成後1~2年でダイオキシン対策のために数億円もの出費となるところでした。今思えば、あの時思い切って決断し、建設の順序を変えたことが幸いでした。そして平成12年に完成した焼却場は、ダイオキシン濃度0.05ngという、環境を考慮したすばらしい施設となりました。
平成10年8月30日、函南町は集中豪雨に見舞われました。雨は8月28日から降り始め、町内低地で一部水害が出始めました。30日早朝には、町内の至る所で水害による通行止めが発生し、床上・床下浸水が多発、消防団も職員も防災協力会もそれぞれ持ち場に配置されました。30日朝7時頃、来光川が大量の雨水や流木でいっぱいになり、町の中央公民館の上流部(来光川)が越水しました。
私は災害対策本部で通報を受けましたが、「身の毛がよだつ」―まさにこの状況でした。函南町始まって以来、来光川が越水したことはなく瞬間、町内平坦部は大水害になると思いました。総務課長より提案があり、即自衛隊(御殿場板妻駐屯地34連隊)に救援隊を要請、その後静岡県にその旨を通報しましたが、県からは順序が違うとお叱りを受け、それもそうだ、と後になれば納得もいきますが、予期しない出来事とはそんなものであります。幸い、30日は日曜日、その上朝の出来事であったので運がよく、地区の子供から大人まで多くの皆さんに呼びかけ、手のあいている方にお願いして土嚢積を手伝っていただきました。この水害が夜であったら、揺れる堤防の上を歩くこともできなかったであろうと思うとぞっとします。しかしあの時、地域の皆さんの力がいかに偉大なものであるか痛感いたしました。
現在、静岡県では東海地震が予想され危惧されております。(とっさの出来事には臨機応変に対処することが大切である。)この集中豪雨の体験の中で身を持って学んだことは、忘れずに活かしたいと思います。
次に、大変喜ばしい出来事であります。これまで当町では高温の温泉は出ないと言われておりました。過去4本の温泉を業者、町当局でそれぞれ2本ずつ、1,000m掘りましたが1本も成功しませんでした。しかし私は、町民の「温泉が欲しい」という願いを叶えたい一心で、空中探査の予算を認めてもらい、町の平坦部の探査を行いました。すると2か所が候補地に上がり、その内のひとつは何と、道路より2m中に入っただけの、住宅地の中に白羽の矢が立てられたのでした。そこには区の倉庫がありましたが移転していただき、温泉を掘ることになりました。50m掘ると地下水が自噴、それから下は粘土質、700m、800m、1,000mと予定通り掘削は進みましたが温泉は出そうにもありません。ボーリング会社の人も頭を抱え、増掘をしようということになりました。私はその時言いました。「1,000mが約束だ。掘削機を上げるのも大変かもしれないが、上げて楊湯試験をしてほしい。たとえ20㍑でも30㍑でも、その湯量が知りたい。」そして揚湯試験が始まりました。その時です。担当課長が「温泉が出た!」と私に知らせてくれました。掘っている時には何の兆候もなかった井戸から一気に180㍑の温泉が出たのです。1日目、2日目と温泉の量は増え、遂に毎分424㍑、63度の温泉が出ました。誰もが喜び、待望の温泉会館が昨年10月にオープンいたしました。1年間で来場者は20万人に達し、1年経った今でも多くの方々に喜んでいただき、連日賑わいを見せております。
ある時、誰かが言ったことがあります。「町長は運がいい人だ」・・・確かに私は運が良いのかもしれません。しかし、努力の積み重ねがあって初めて運は味方するのではないかと思うのです。これからも運を味方にできるよう努力を重ね、町政に励みたいと思います。