ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  禍福はあざなえる縄の如し

 禍福はあざなえる縄の如し

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年6月16日

鳥取県西伯町長  坂本 昭文

平成7年に鳥取県下で最年少46歳の若さで町長に就任し早いもので8年が経過し、今春3期目の町長選挙に無投票再選を果させて頂きました。
この間、福祉のまちづくり、環境自治体の追求、住民参加の町づくりなど、町政の推進に挑戦者としての気持ちを忘れず無我夢中で積極果敢に取り組んで参りました。
それなりの成果もありましたがそれは自分の力ではなく、町職員を退職しての挑戦でしたから町民の皆さんが気の毒に思って応援して頂いたのだと感謝しています。
現在46歳の職員を自分に置き換えてみると、ずいぶん無謀なことをしたものだと我ながら驚いてしまいます。幸いに健康に恵まれて一生懸命頑張ってきましたが、寿命は確実に10年ぐらいは縮んだのではないかと思います。というのも毎日が真剣勝負で退屈することなどは1日もなく、家に帰るとぐったりしてしまい、お酒も少しずつ度が過ぎるようになって肝臓の数値が気になっている今日この頃です。
さて介護保険制度がスタートしましたが勉強すればするほど面白く、全員公募による住民の皆さんと賑やかに「100人委員会」を結成して取り組むことに致しました。
その1つの到達点として平成12年10月6日に、全国から3,000名の参加を頂いて「介護保険推進全国サミット」を開催することにいたしました。私もパネラーとして出演し、いざ発表という直前の午後1時30分にあの忌わしい鳥取県西部地震に見舞われたのです。幸いに死者もけが人もなくて地震に免じてサミットの中止をお許しいただきましたが、何かあったら間違いなく責任をとって辞任しなければならなかったところだったと思っています。
そのころちょうど父が病気で入院中だったので、サミットまでは持たせて欲しいとドクターにもお願いして本人も頑張っていましたが10月11日に他界しました。サミットの中止、地震の災害復興、父の他界と三重苦に襲われて一時はもうだめだと思ったこともありましたが、国や県、各地のボランティアなど多くの皆様に励まされて何とか持ちこたえて頑張ってきました。翌年には800名以上お集まり頂いてミニサミットを開催し、災害復興についても14年度末にはほとんどの復興を終えることができました。亡くなった父はこのような取り組みを天国から見つめて、応援してくれたのだと思っています。
今春には就任以来の課題であった全室個室ユニットケアの特別養護老人ホーム「ゆうらく」が竣工し、サミットと地震がご縁の皆様も全国各地からお祝いに駆けつけて頂き温かい心情に触れて胸が熱くなった次第です。「ゆうらく」は日本を代表する建築物として、又ユニットケアという新しい発想による介護サービスを展開する施設として大きな注目を集めています。僅か1週間の内覧会に町内外から2,000名以上もの方に施設見学をして頂きました。建設の資金調達に「まちづくり西伯町民債」5,000万円を募集したところ、232名の方から1億8,530万円もの応募をいただくなど住民の関心も高く、抽選で購入者を決定するなど嬉しい悲鳴を上げています。また介護保険制度のもとで健全運営が至上命題となり、在宅福祉を強力に進める必要も一層高まって参りました。
2つの課題解決のために町職員での運営を廃止し、会見町と社会福祉法人「伯耆の国」を設立して管理運営を行うこととして、経営が不安定な在宅サービスを施設サービスで支えていく体制を整えたところです。
2期8年間を振り返って見たとき「禍福はあざなえる縄の如し」で、投げだしたくなるような困難な状況を乗り越えて今日があるとしみじみと思いながら、3期目の町政に決意を新たにしている今日この頃です。