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 この町の この地域の 未来に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年6月9日更新

富山県八尾町長  吉村 栄二

「おわら風の盆」と「曳山祭り」は八尾町の二大伝統文化イベントである。
爽やかな五月晴れの去る3日、「風の盆」にまつわる東京新橋演舞場6月公演「風のなごり」の出演者、風間杜夫さん、多岐川裕美さんをはじめ、多くの人々で賑わう日本の道百選の諏訪町通りなど伝統的な雰囲気を残す町並みを、江戸時代の町人文化の粋を伝える6基の曳山(山車)が、優雅に練り回された。
寛永13年(1636年)当時の加賀藩から町建ての許可を得て、浄土真宗の名刹である聞名寺の門前町として、また飛騨との交易の要衝、近隣村落の物資の集散地として、次第に発展し後に富山藩の御納所といわれ、経済的に主要な地位を治めるようになる。この経済力を背景に、二つの伝統文化は町民の手によって生まれ、町外の多くの文化人などとの交遊をもとに、今日の優雅な姿に育まれたといわれている。
この二つの伝統行事を担う八尾地区(旧八尾町)を中心に隣接する中山間地、平坦地の8村を含めて、昭和の合併が行われた。町の中心市街地である八尾地区は御多聞にもれず他の地方都市と同様に商業の中心が町外や郊外へと移転し、生活の利便性はあっても現代的な居住環境にそぐわない面もあり、背後地の広い中山間地域とともに、過疎化、少子高齢化が極端に進行している。
昭和50年代から造成された富山八尾中核工業団地には30社近くの先端的な企業が立地し、平坦地における住宅団地の開発によって、町外からの移住者もあり町全体としては人口はほぼ横這いの状況にあるが、中心市街地の人口が減少し、全国的に認知されるほどになった伝統文化を、今後伝承維持していくことが困難となる危険性をはらんでいる。
このような現状の中で、平成の大合併の論議が始まった。岐阜県境にある大長谷地区(旧大長谷村)は昭和30年頃1,700人あった人口が、現在は100人未満となっており、昭和の合併の際、単独で残った隣接の村と比較され、今回の合併論議に特に懐疑的であったのをはじめ、中山間地域を中心に、県都富山市を含む富山湾から岐阜県境までの、広大な圏域で人口も面積も県全体の4割近くを占める合併では、人口が20分の1に近い八尾町は埋没してしまうのではないか、またこれまで長い歴史の中で個性あふれる地域づくりを進めてきたにも関わらず、周辺部として取り残されるのではないかとの危惧が多くの町民にあり、合併が避けられないとすれば、身近な合併をというのが町民の平均的な思いであった。当初、町としては身近な小さな合併を模索したが、県が示したパターンの一つである、富山市を含む7市町村による大きな合併が流れとなり、本年4月、法定協議会が設置された。
現在、社会は大きな変革期にあり、経済は高度成長から低成長、マイナス成長へと移り、スピードと効率性を重視するスタイルへの反省から、ファースト・フードに対するスロー・フードの誕生をヒントに、スローライフ、スロータウンの理念が生まれ、スロータウン連盟が結成され、八尾町もその一員として参加している。さらに人々の心に自然や地方への回帰志向が強まりつつあり、地方が自らの個性を主張し、これからの時代を豊かな地域として生き残る可能性が高まりつつある。
このことを裏書きするように、先に述べた大長谷地区の100名を切る住民の中の8世帯の高齢者ではない人たちをはじめ、わが町の中山間地域には多くの移住者が生活している。その生活基盤も徐々に整備され、今後は生活の糧を得るため耕作放棄地を再生することが急務であり、構造改革特区による規制緩和の活用を検討しているところである。またグリーンツーリズムの実現のための交流基盤も平行して整いつつあり、日本の棚田百選の「みのり棚田の学校」をはじめ、さまざまな企画によって、都市と農山村の共生対流は着実に進展している。
一方、中心市街地においても、活性化基本計画に基づき、その再生整備に努めてきたが、ハード面においては、駅周辺地域を除きほぼ目処がつき、その成果として、イベント開催時以外にも当町を訪れる人が増加しつつあり、ソフト面のより一層の充実が期待される。
今後は地域の自立に向けて住民自らの積極的な行動が求められる。豊かな自然に恵まれた中山間地域、優れた伝統文化を受け継ぐ中心市街地、そして先端企業が息づく平坦地を併せもつこの地域は住民自らの意志と努力によって、これからの時代にふさわしい個性豊かなよりよい地域へと成長する可能性が大いにあると思われる。
去る4月30日、地方制度調査会の中間報告が示された。最終報告に向けたいくつかの論点はあっても平成の市町村合併後の地方自治体の形態はある程度見えてきたように思われる。
今後、旧市町村に設置可能になる「地域自治組織」をいかに機能させることができるかが、この町の、この地域の命運を握っているのではないだろうか。