北海道歌登町長 深井 信朗
「歌登」は、「うたのぼり」と読み、アイヌ語で砂山を意味する「オタ・ヌプリ」を当てたものです。
日本最北端の地稚内市からオホーツク海側を130キロ程南下して内陸に入ると、人口約2,500人、面積606平方キロ(東京23区とほぼ同じ)の、四方を山で囲まれたわが町に至ります。
そんな「北の国」歌登町と、長崎県生月町との「いきいき交流事業」が、昨年5月、生月町長森隆俊氏が来町されて交流覚書を取り交わしたことから、一気に実現する運びとなりました。両町にとって地域間交流は初めてのことで、7月には生月中学生6名が来町し、「北海道の夏休み」を体験しました。
■交流のなれそめ
長崎県の離島(現在は、生月大橋で陸続き)であった生月町と、1,700キロも離れた北海道宗谷地方の本町との「なれそめ」は、「国道も鉄道もない市町村全国連絡協議会(通称ないないサミット。会長:群馬県鬼石町長関口茂樹氏)」でのおつき合いが縁となりました。
ないないサミットでの全国交流から、「日本も、広いなぁ!」と実感し、この広さをせめて子どもたちには実際に体験してほしいとの思いが年々募っていきました。
ある折り、北は南を、南は北を体験させたいという考えを森生月町長さんにお話ししたところ、両町の違いの多さがかえって交流の価値を高めるとの共通の認識をいただくことができ、覚書の交換と相成った訳です。
■ともに味わった感動・感激
最初の「南からの訪問」では、学校はもちろん、ホームステイの受け入れ家族、酪農家のお母さん、農業後継者の若者たちまでもが交流事業に好意的な反応を見せ、南の子どもたちを暖かく迎えてくれたのでした。
交流事業では、町の木エゾマツの記念植樹、地場産牛乳でのアイスクリーム作り、ホルスタイン牛の手搾り体験、子牛への授乳など、本町ならではのメニューを、当地の子どもたちと一緒になって体験しました。
この交流で感じたことは、「体験した」子どもたちが初体験の喜びを素直に体ごと表してくれたことから、「体験させた」方も、同じ感動・感激を味わったということです。
4泊5日の北の夏は、すぐに過ぎましたが、最後には、だれが生月の子どもかわからないほどにうち解け合い「広い日本」が、心のつながりを隔てる距離にはならないことを証明してくれました。
気候、歴史、習慣、食物、風景、産業など、違うものがたくさんある北と南で、また、その違いが多いほど価値も大きくなるという思いで始めた交流ですが、子どもたちはその違いを意識したりせず、体全体で受け止め、吸収してしまったようです。
■「いきいき交流」これから
最近、広報誌を通して互いの町の近況を伝え合う「お便り」交換もはじまりました。インターネットでのメール交換などが日常化している昨今、町民同士の「おしゃべり」が北と南で行き交うようになることも遠くないでしょう。
今年の夏に南の島を訪問する子どもたちが、その柔軟性と柔らかな感性で、どんな感動を体験してくるか土産話が楽しみです。
最近の合併問題や交付税の削減など、小規模町村長にとって心労は増すばかりですが、この初体験は、しみこんだもろもろを一遍に吹き飛ばすほどの威力がありました。