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 グローバル教育

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年3月17日

秋田県雄和町長 伊藤憲一

立春を境に北国秋田もまさに三寒四温、春の胎動が始まった。この時期、例にもれず私共も新年度予算編成に四苦八苦、合併問題もあって地方自治ならぬ痴呆自治になりそうである。

さて、我が町には1990年に開学した米国大学日本校であるミネソタ州立大学機構秋田校があり、多くの成果をあげながらも今年度で閉校することとなり、2月8日に閉校式を行った。開学当初は、日本校ブームもあって話題を呼び、自治体誘致では新潟県の中条町に次ぐ全国2番目の大学として注目され、定員250人を上回る応募があったものの、2年目から半減するという苦難の道を歩んできた。

あれから13年、10校程あった自治体誘致の日本校は相次いで閉校となり、原型を止めているのは新潟中条町の南イリノイ大学と私共の秋田校の2つだけとなっていた。

こういう状況からすると、日米共同プロジェクトである米大日本校の設立は失敗であるとも言えるのだが、私は負け惜しみで言うのではないけれども、多くの成果と教訓を残したと思っている。

特に国際化時代の先端をゆく人材養成という建学の精神は、これまで秋田校で単位を取得しミネソタ大学機構傘下の大学に進級した学生は約600人、このうち州内の4年制大学卒業者は現段階で約300人にのぼり、大方の皆さんが国内外でボーダーレス時代の先兵となって活躍しておりその狙いは達成されたと言える。また、地域の国際化への貢献では、県内高校生のミネソタ州での研修企画で、2年目からは県教育委員会が主催し、秋田校がサポートする形で毎年80人程を派遣していることや経済界の交流、英語教師の研修や社会人講座、我が町でも毎年中学生十数人がミネソタで研修し、英語力日本一を目指した小学2年生からの英語の授業は今年で7年目を迎えている。一方、教員や学生などの外国人登録は多いときで160人にも及び町の様々な民俗文化やイベントへの参加、学校での子供達のふれあいなど、日常的に交流がなされ、国際交流などと大上段に構えることは殆どなくなった。

このように、秋田県や地域の国際化という点では多くの成果を生みだしてきた。

私は実質的に開学4年目から引き継いだのだが、過去7回程ミネソタを訪問し協議や交渉に当たったけれども、専修学校扱であることや授業料の割高感、英語の授業についていけず退学者が多いなど学生確保が困難な上、人件費や教育研究費など歳出の大半を占める部分の権限は基本的に大学機構側にあり、経営という面では非常に厳しいものがあった。

秋田校は、閉校するものの幸いにして県が設立する「国際教養大学」のキャンパスとして生まれ変わることになり、国際ビジネス学科などはミネソタ大学機構傘下の大学から教育プログラムの提供を受けると共に、三学年にはミネソタでの1年間の留学が義務づけられ、日米双方の卒業資格が得られるシステムで、秋田校の持つ教育的ノウハウやミネソタ州との関係が継続的に生かされることは望外の喜びで、平成16年4月の開学を心待ちにしている。

壮大とも言える日米共同のプロジェクトだが、秋田校で寮生活を共にした日米の学生の中には友人として又、家族で親戚づきあいをしている皆さんもおり、テロや戦争に怯える昨今の世界を見ると、異国の若者が同じキャンパスで共に学ぶという素晴らしい経験は、地球市民としての相互理解や世界平和という視点からも、手前ミソにはなるが高く評価されてしかるべきものとも思っている。

閉校式で州立大学機構のリンダ・ベア副総長は「…ミネソタで秋田校での体験を共有する学生や教員から、それがいかに彼等の思考や人生に影響を及ぼしたかについて伺った。これこそが国際的なグローバル教育そのものに他ならない…」との式辞をされた。