新潟県牧村長 中川耕平
21世紀3年目の羊年、明けましておめでとうございます。
新世紀初頭から世界を揺るがす動乱が続き心を暗くすることが多くありましたが、今年こそ世界中の人々が笑顔で、平穏に安全に暮らせる幸せな日々が続くことを祈りたいものである。
私事で恐れ入るが、議員時代から現在まで、中山間地の棚田での「米づくり」が私の変わらない楽しみになっている。年齢を考えてか、「どうしてそこまで?」といぶかる人も多いが、朝露を踏んで見廻る早朝の棚田は、日毎に生長する苗の生命力と冷気を含む澄んだ空気で頭のてっぺんまですっきりする。しかも、一回りしてひと汗かいた後、がぶりつく休耕田で作った「スイカ」の味はまた格別だ。収穫作業が終わるまで続くこの日課は、用務の重ならない限り欠かせない元気の源である。全国の町村長の中にも私と同じような方はきっと居られるだろうと思うが、どうだろうか?
さて、わたしの村がある新潟県上越地方は、その中心となる高田平野を母なる川「関川」が貫流し、河口には重要港湾直江津港が開け、北陸と上信越の自動車道が交わる古くからの交通要衝の地であり、今また北陸新幹線長野上越間の工事が着工され平成20年代前期の完成が予定され、地方都市の中でも陸・海の交通ネットワークが整えられた有数の地域となっています。今の日本は経済の先が見えない非常に厳しい状況ではありますが、このような社会資本の充実による新たな交流の可能性から地域の発展がおおいに期待されているところでもあります。
我が牧村の位置は、その上越地方の南東部、東経138度線と北緯37度線が交わる中山間地域に属し、戦国の武将上杉謙信が居城を置いた上越市の南東に隣接する標高60メートルから1,067メートルの丘陵地からなる村で、日本有数の豪雪地帯でもあります。
深い雪と奥信濃との分水嶺に広がるぶなの原生林がきれいで豊富な水を供給し、見る人に天まで続くといわせた棚田をつくり、保水力と保肥力に優れる粘土質の土壌に気温の好条件が加わって、「ほかの米は食べられない」と言うまでの「うまい米」を育ててきました。しかしながら、第一次産業の全国的な斜陽化は、中山間地の離農者と離村者を助長し、当村も自給自足型農業と就業者の高齢化を招きました。そして経済の中心は、2次、3次産業へ変わって久しいものがあります。私は就任以来このような情勢を踏まえ、村の基幹産業崩壊の危機を回避するため「詩情あふれる安らぎの里」をキャッチフレーズに、遅れをとっていた水田の改良整備を中心とする農業農村基盤整備を最優先し、将来に引継げる優良農地の確保を図ってまいりました。結果は、まだまだ理想とするところまでは行かないのですが、当初、目標とした改良面積を住民の理解で確保し、大型機械化による棚田の農作業を一変させることができました。自分ながらにこんなものかなと思っているところであります。しかし、中山間地の小さな村の地域づくりは、これで万事終わりとはいかない。引き続く若者の流出は過疎と人口の高齢化を招き、若者定住、高齢者福祉、生活排水、水道の基幹改良対策など、地域の存続と継続的発展を図るためには、新たな課題と取り組みがまだまだ山積であり、大きな力を必要とする所以であります。
一方、地方分権の流れは容赦のない自主自立の地域づくりを求め、行財政改革の行き着くところとしての市町村合併論。しかも、残念ながら過疎と戦う小規模町村にその選択肢は多くはない。私も平成13年から近隣市町村と勉強会、任意協議会と駒を進め、住民とともに地域の生き残りを合併にかけてきました。すでに行政制度とサービスの比較調整方針から将来のグランドデザインまで住民説明を終え、現在は最終の意識調査を取りまとめているところであります。年明け早々から中心となる上越市を核に、周辺十数町村による大同合併を目指す法定協議会立ち上げの準備が進められることになっています。いづれにしても、便利で豊かな生活を求めるあらゆる取り組みは、これからも国を挙げて続けられ、都市も農村も確実に充実して行くことを信じ「物」の豊かさのみにとらわれない「心」の豊かさをも大切にできる地域づくりに邁進したいものである。