山形県川西町長 高橋和男
地方分権が具体的に進展し、地方の自立が課題となっている状勢ですが、反面自らを振り返るよい機会でもあります。本町の町づくりについて雑感を綴ってみたいと思います。
川西町は、山形県の南部、県の母なる川「最上川」上流の西側に位置し、その地理的条件がそのまま町名となった町です。町の約4割は山林ですが、殆どがなだらかな丘陵を成し、裾野には豊饒な水田が広がる自然景観に恵まれた農山村地帯です。明治初頭にこの地にたどり着いたイギリスの女流旅行家イザベラバードは、著書「日本奥地紀行」の中で、美しい日本の原風景と出会った感動を「東洋のアルカディア」と言い表しています。
豊かな自然環境を生かした農業が基幹産業で、米、牛肉、酒などが特産品として上げられます。とりわけ水田農業が盛んで、古くから水稲栽培技術の研究に熱心な風土が醸成され、昭和43年には反収日本一にも輝いています。本町の篤農家の著書「誰でも出来る五石どり」は、米作りのバイブルとして当時のベストセラーでした。米余りの昨今、これらの技術と熱意は良質米生産へと向けられ、今なお米作りの里は健在です。また、本町は古くから米沢牛の生産地としてつとに名高く、むかし曲屋で牛を家族の一員として扱って来た風習が、現在の畜産業振興に結び付いています。
本町の自然、すなわち緑は人々の生活と生産の舞台であり、丘陵群はその舞台に命を吹き込む源です。舞台の上で人々の良好な連携、交流を促進すること、すなわち愛をもって生きることを地域社会創造の理想と位置づけ、「緑と愛と丘のあるまち」創造を標榜しながら、町づくりを進めて来ました。
ふるさと創生が潮流となった頃から、新たな地域づくりを模索し、地域間交流を促進するとともに、地域からの情報発信を行う中から新たな文化の創造を目指す「フレンドリーヒルズ構想」が平成2年に旧自治省のリーディングプロジェクト事業の採択を受け、「であいの丘」と「ふれあいの丘」を中心とした新たな町づくりに取り組みました。であいの丘の拠点施設として、平成6年に完成したフレンドリープラザは、演劇ホールと図書館が一体となった複合文化施設であり、本町出身で名誉町民でもある直木賞作家井上ひさし氏の蔵書を基とした遅筆堂文庫が設置されています。氏は言語学に精通され、言語関係の文献は日本屈指の収蔵と内容を誇るなど、情報発信機能を十分に発揮しています。
ふれあいの丘は、温泉保養施設「まどか」を中心に整備し、その隣地には「川西ダリヤ園」を整備しています。ダリヤは、以前から多くの町民が栽培し、現在町の花としています。ダリヤ園は、650種、5万本のダリヤが咲き競い、観光の一大拠点となっています。今ではダリヤの原産国であるメキシコや全国でダリヤを栽培する市町村との交流も盛んになって来ており、多様な人と地域の交流を実現しています。
私は、町長就任前、商店経営の傍ら45年にわたって消防団活動に打ち込み、県の消防協会長も経験してきましたが、諸々の活動を通して民間活力を活かすことが町づくりの原点と感じ、町民と行政の協働に専心してきました。幅広い交流の具体化、他に誇り得る町づくりは、まさに協働の成果であり、町民1人1人の努力の賜と感謝しています。
現下、環境対策が地球規模の課題としてクローズアップされる中で、新たな世紀21世紀は水の世紀とも呼ばれ、水資源と食糧の確保が大きな課題と予測されております。美しい自然が最も貴重な財産になるものと思います。生活環境の基盤となる自然と食の原点である農業を守り、継承して行くことが我々の大きな使命の1つと意識しながら、「緑と愛と丘のあるまち」創造を念頭に、地域振興に一層の情熱を傾けたいと思うこの頃です。