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 今日この頃思うこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年7月22日

今日この頃思うこと

石川県寺井町長 酒井悌太郎

まったく分野の違う、司法の分野から右も左もわからぬ状態で行政の分野に飛び込んで、7年を経過しましたが、就任以来の日々を思い、ここまで来られたのも、周辺の先輩市町村長各位や、暖かく見守って頂いた町民各位のご協力のお陰と感謝致しております。

私自身、定年を数年前にして、家庭の事情等もあって家庭裁判所を退職、長年離れていた故郷の寺井町に戻ったものですが、丁度私が就職して故郷を離れた昭和31年の秋に現在の寺井町が昭和の大合併により誕生しております。その後の町の発展の時期のほとんどの期間を他の地域で過ごした関係もあって、帰郷した当時は、正に今浦島にも似た感じも否定はできませんでした。近所の方々以外に馴染みの方も少なく、小学校の同級生以外に親しい友人もあまりいないといった状況で、生まれ故郷に住みながらエトランジェの感なきにしもあらずの状態でした。こんな事情ですから、私自身勿論その後数年して、まさか自分が町長に立候補するなど夢にも思わず、地域の裁判所の調停委員として、それまでの経験を生かして世のお役に立てればと日々を送っていました。

偶々ある日、町の依頼で民生委員の講師として家庭問題等について講演し、終了後、今は亡き中田前町長に町長室に招かれ世間話をしたのがきっかけで、町の教育委員に就任を要請され町行政との関係ができたのが、今日の始まりです。本当に人との出会いの不思議さ、縁の大事さを痛感している次第です。縁の不思議さといえば、先に述べた昭和の大合併当時、現在の寺井町の前身であった寺井野町の町長を勤めていたのが私の長兄でした。兄は歳若くして40そこそこで、戦後の混乱期の当時の寺井野町の町長に就任し、昭和30年、当時の町村合併問題の頃、石川県町村会長としても合併問題に奔走していたのが学生時代の私の記憶の中に鮮明に残っております。あれから45年の歳月を経て、弟の私が、兄や当時の先輩達が奔走して作り上げられた現在の寺井町の新たな合併問題に取り組まざるを得ない現状に、なにか因縁めいたものを感ずる次第です。恐らく兄も天国で、その成り行きを興味津々、見守っているものと思っています。

昭和の大合併当時の寺井町と現在の町の状況について比較してみますと、合併当時の人口は9千余名と1万人に満たぬものでしたが、その後、人口も順調に増加し昨年末町民待望の1万6千人の大台に達しました。

ご承知のように寺井町は伝統産業九谷焼の主産地でもあります。明治以降ジャパン九谷として広く海外に名声を博した九谷焼も、時代の趨勢には勝てません。バブルの崩壊後、苦戦を強いられていますが、新しい時代のニーズにあった商品としての復活をかけて業界も町も一丸となって取り組んでいるのが現状であります。

昨年度は国土交通省の社会実験事業の採択を受けて、長年に亘り、会場を二分して開催されていた九谷茶碗まつりも、会場の一本化と、県道を歩行者天国にして開催されたことで、祭りも往年の賑わいを取り戻す気配が出てまいりました。これも国土交通省の地域振興にかける厚い支援のお陰と喜んでおります。今年も実験の成果の検証と、更なる賑わいの創出のため沿道での祭りの開催となりました。

寺井町は石川県能美郡に属しておりますが、先般、町内の宅地造成工事の際、多くの埋蔵文化財が発掘されました。緊急発掘を行ったところ、平安時代の墨書土器が多数出てきました。その中に、ひらがなで「のみ」と記載された土器がありました。これは、古くからこのあたりが加賀の国の能美の郡家の所在地に近かったことを推定させる有力な資料と、識者は評価しております。この地域に数多く存在する古墳群と共に、古くからの行政の中心地であったことも推定される町であり、先人の残した貴重な文化遺産も大事に保存整備、活用しながら交流人口の増大も図り、21世紀のこれからの町づくりに励みたいと思う今日この頃です。