ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  姫街道四〇〇年祭と垂井宿

 姫街道四〇〇年祭と垂井宿

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年5月27日

姫街道400年祭と垂井宿

岐阜県町村会長 垂井町長 田中幸雄

2002年は、徳川幕府が中山道に宿駅制度を制定して400年という節目の年にあたります。中山道は、東海道の裏街道として、東京「日本橋」から草津で東海道に合するまでの69の宿駅で結ばれ、約136里(544㎞)であり、中部日本の山岳地帯を走るため、この道は将軍家に嫁ぐ姫宮たちの大通行に使われたことで「姫街道」とも呼ばれ、なかでも幕末の公武合体策のため14代将軍徳川家茂に嫁いだ和宮の大行列は絵巻物のような豪華さだったようです。

江戸から数えて58番目にあたる垂井宿は、中山道に関わる史跡がいまだ多く残されています。なかでも垂井の一里塚は112番目の一里塚で、国指定が2ヶ所しかないうちの1つであり、交通史上貴重な史跡であります。また、隣にはお茶所が建ち、街道の面影を残す珍しい休憩所であります。

また当時の面影をそのまま残し今も現役の老舗旅館の旅籠(はたご)「亀丸屋」は、浪花講の定宿としてサービスが行き届きよく繁盛したともいわれており、長い道のりを歩いてきた旅人の疲れを癒しました。

垂井宿を出ると、中山道と東海道を結ぶ美濃路の追分があります。ここには自然石の道標があり、「是より右東海道 大垣みち 左木曾街道 たにぐみみち」と刻まれ、旅人が道に迷いやすい追分に建てられたもので、中山道にある道標の中でも7番目に古く、しかも追分の元の位置にあることは歴史的にも価値が高いとされており、今も街道には江戸中期から明治の初め頃に植えられた松並木(53本)が当時の面影を残しています。

このように多くの史跡を残す垂井宿は、今も遠く古き良き時代を受け継ぎ、いにしえの風情が味わえ、当時の旅人の思いを偲ぶことができる場所といえます。

岐阜県では、中山道に宿駅制度が制定され400年を迎えるのを記念して、「姫街道400年祭」が県内の十六宿の参加を得てイベントを開催します。

この目的は、それぞれの地域が自主・自立の精神で、中山道の歴史・伝統・文化を見直し、個性豊かな地域づくりやイベントの展開を通じて創造する新たな文化を県内外に情報発信し、交流人口の拡大による地域の活性化を図ろうとするものであります。

垂井町では、5月3日「垂井祭(子供歌舞伎と曳■と新緑の戦国路(竹中半兵衛陣屋跡)をたずねて」をテーマに、11月2日には中山道垂井宿・南宮大社(美濃国一の宮)コースで、JR垂井駅を発着点とする街道ウオーキングが実施されるほか、9月7日の中山道垂井宿まつり(力自慢大籠かつぎ大会等)や11月2日、3日の両日にかけて「姫街道400年祭」ふれあい垂井ピア2002が開催されます。特に、ふれあい垂井ピアは「交流とふれあい」をメインテーマに、かつての宿場の賑わいを再現するために、楽市コーナー等様々な催しを行う町の一大イベントであります。多数の来場者をお待ちしています。

このほか、美濃国府があったとされ現在発掘調査を行っており、また奥の細道で芭蕉翁が結びの地大垣へ向かう道すがら多くの俳句を残すなど数多くの歴史遺産を大切に伝統・文化を守りながら、第4次総合計画にある「ときめき やすらぎ ふれあいのまち―環境調和都市―」を目指し、新しいまちづくりを進めていきたいと思っています。

※■=「くるまへんに山」