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 牛海綿状脳症の発生に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年4月15日

北海道佐呂間町長 堀 次郎

佐呂間町はオホーツク海に面し、日本で三番目に大きいサロマ湖(常呂町・湧別町の両町に隣接し、面積150平方キロメートル)を有し、主産業は農業・漁業、そして今は低迷しているが林業を中心とした第1次産業の町である。

人口は、昨年の国勢調査では6,666人、昭和28年の16,801人、当時から比べると約1万人の減少という過疎指定地区である。

本町の歴史は、明治27年にアイヌの人達が住んでいたこの地に半農・半漁を営むべく、青森より和人が定住したときから始まった。

現在、農業は年間を通して安定した収入が得られる酪農が中核となっており、乳牛約10,600頭、肉用牛約11,000頭が飼育されている。

昨年の9月11日、ニューヨークの貿易センタービルがテロリストによって破壊され、世界中を震撼させた翌日、新たに衝撃的なニュースが突然、我が町に飛び込んで来た。

佐呂間町生まれの牛が、千葉県において牛海綿状脳症(BSE)の疑いがあり、精密検査をしているので調査に協力して欲しい旨の連絡が家畜保健所を通して入った。その時、すでに報道機関では、天下の一大事とも思えるような取材活動が始まっていた。

私は今、町長職として4期目、13年間務めているが、元来は経済動物を主体として診療していた獣医師であったこともあり、BSEの恐ろしさは充分に認識していたが、大変な事態が起きたことに対する心配とある面では、とうとう来るべきものが来てしまったのかとの思いが脳裏をよぎった。

思えば一昨年の3月、宮崎県に、5月には北海道の本別町に、牛の口蹄疫の発生をみた。その時日本の畜産界は大きなショックを受けたが、幸いにも迅速にして適切な対応によって広範囲への蔓延を防げたことは、他国で発生した時に比べると、被害はまさに奇跡的とも思える程、最小限であった。しかし、その原因は未だ明らかではなく、中国、または台湾から輸入した稲ワラか麦ワラに口蹄疫のウイルスが付いて来たと言う説が主流となっている。

さて、今回のBSEの問題については、昨年の10月18日以降は、と畜場において全頭検査がなされ、全く安全な牛肉が市場に出回っているにもかかわらず、消費の方が遅々として伸びず、いつになったら発生前の状態に戻るのか予測のつかない現状にある。BSEの問題は想像をはるかに超える大きな被害が全国的に広がってしまった。そしてBSEに感染した牛が出た町村においてはあらゆる風評被害が出て、他の産業にも大きな影響を及ぼしていることも事実である。

今の日本の畜産における飼料の大半は諸外国からの輸入に依存しているのが現状である。食糧にしても家畜の飼料にしても、安全性を最も重要視しなければならないにもかかわらず、収益性のみを追求してきた結果がこのような事態を招いたものと思う。更に、過去において使用されていた牛用の配合飼料や代用乳には、BSEに感染していた疑いのある牛や羊の肉骨粉が使われていたと言う。このことは本来、牛は草食動物であるにもかかわらず仲間の肉骨粉を知らずに食べさせられ、いわゆる共食いを強いらされていたのであり、この行動は神様が自然界で生きる動物に対して定めた掟を冒したことになるのである。

したがって、今回のBSEの発病は物言えぬ動物が自らを犠牲にして、我々人間に警鐘を鳴らしたものと受け止めなければならないのであろう。

日本の食糧自給率は、カロリーベースで40%と世界の先進国では最低のランクである。故に、少しでも安価な食糧を輸入しなければならない国情は理解できるが、神の掟を無視することは人間のエゴそのものである。

近年、日本全土において国における諸々の農業政策のもと、作物が栽培されずに放置されている農地が増加の傾向にある。もともと国内の農地を有効活用することによって、安心で安全な食糧の自給率の向上を図ることは可能なのである。

古い中国の仏教書の中に身土不二(体と土は1つ・人間は足で歩ける身近なところで育った物を食べ生活することが良いの意)の悟りがある。

BSEの発生により、地産地消への再認識が高まることを期待し、また努力して行きたい。