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 万葉のふるさと町づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年3月11日更新

鳥取県町村会長 国府町長 木村肇

“新(あたら)しき 年の始めの 初春の今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)”―国府町の町づくりはこれから始まったと言える。しかし未だ道のりは険しい。

万葉歌人、大伴家持は今から約1240年前の天平宝字2年(758年)の6月に、因幡の国司に任ぜられる。翌天平宝字3年春正月1日、国庁の館で年頭の所感を託して詠んだとされ、万葉集の最後を飾る歌として有名である。そして国府町ではこの1首しか歌を詠んでいないとされている。また歌人でありながらその後は歌を詠んでいないとされている。今も私達にとって大いなる謎を抱(いだ)かせるところとなっている。

国府町は、鳥取県の東端に位置し、東は兵庫県温泉町、西は鳥取市に接する東西18㎞、南北7㎞、面積93.4平方km、人口8,600人の小さな中山間地の町である。町の歴史は古く、奈良時代より因幡の国府が置かれ、町名の由来ともなっている。

また庁、国分寺、法花(華)寺、三代寺などの地名が現在も集落の名前として使われている。史跡としても因幡国庁跡(8世紀前半)をはじめ、多くの古墳類や、山陰で最古の石造建築物(7世紀中頃)、江戸時代では歴代鳥取藩主の墓所など、国の重要文化財や学術的価値の高い貴重なものが数多く残っている。また、当時の国司には、先に述べた大伴家持、在原行平、大江広元などが赴任している。

そのような背景のもとで、私は昭和62年12月に就任することとなった。時あたかも、竹下内閣がふるさと創生1億円事業を打ち出す動きの直前であった。早速に国府町も、町づくりの基本をどこに置くべきか、町内から議論が沸き上がることとなった。

町もそれを受けて、平成元年ふるさと創生検討委員会を設置し、ふるさとづくり1億円アイデア募集を行い、町民の意見を聞くこととした。私達がそのなかで得た結論は、どの町にも、独特の長い歴史に支えられた個性と特徴があるはずである。それを良く見定め、最大限に活かした町づくりを進めることであった。それが万葉のふるさと。“こくふ”である。第7次総合計画にいたる今日迄、変らざる命題となっている。

『万葉集』―多くの人達の知るところである。日本で最も古い国民歌集と言われている。全20巻、4,506首、天皇から防人(さきもり)や農民にいたるまで、この時代に生きた人々の思いが万葉仮名に託されている。そして万葉のゆかりの地が、全国のほとんどの都府県にわたっていることである。

万葉集に少しでも関心を持たれた人であれば、誰しもこの歌集に大いなる魅力をいだくものである。それはこの時代に生きた諸階層の人びとの姿があからさまに万葉仮名に託されているところにあっている。食においても現代人にも通ずる健康食を歌集のなかからも垣間みることができる。

このような思いのなかで、国府町は4年の歳月をかけ、平成6年10月に「因幡万葉歴史館」をオープンしたのである。大伴家持を中心とした展示、万葉時代の衣食住、因幡地方の歴史と文化を学ぶことができる施設としても整備している。

また同時期に、短歌の「大伴家持大賞」を創設した。平成13年で第8回を重ね、国内はもとより国外からも多くの応募が得られ、定着したイベントの1つとなっている。また万葉集をより理解していただくため、万葉集朗唱の会も行っており、各地の万葉ファンの参加を得ている。今日では、全国の万葉ゆかりの地とのネットワークも広がっており、共同のPR事業、交換展示など、さまざまな活動も試み、地域づくりへの道を歩んでいる。 

平成14年は、第17回国民文化祭が鳥取県で開催され、国府町では、「万葉フェスティバル」をテーマとして参加することとしている。一層関係地域との交流が進むことを期待している。

国府町は、『万葉の世界に燃える』を合言葉に、更なる町づくりに夢をかけて行きたいと考えている。