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 東海道宿駅400年祭と岡部宿大旅籠柏屋

印刷用ページを表示する 掲載日:2002年2月4日更新

静岡県岡部町長 井田久義

「とうふなる、おかべの宿につきてけり、足にできたる豆をつぶして」。東海道中膝栗毛 十返舎一九。

豆腐は平安の時代、京の公卿社会では、「おかべ」と呼ばれていました。これは豆腐のイメージが「なまこ壁」に似ており、「御壁(おんかべ)」「おかべ」となったと言われています。

1601年、徳川家康は東海道に宿駅制度を設け、江戸から京までの間、126里66町(約500km)を五十三宿でつなぎました。岡部宿は品川宿から数えて21番目の小規模な宿場であった。

しかし鎌倉幕府の御家人岡部氏との関わりをもつ歴史の古い宿場であり、難所の宇津の谷峠を控え又、大井川の川止め等の影響もあり、かなりの賑わいをみせた宿場であったようです。

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると「本宿(岡部)と加宿(内谷)から成り、戸数487軒、人口2,322人。

宿(しゅく)の家並は街道の両側に約1.5km続き2軒の本陣を核として東西に脇本陣や旅籠が軒を連ね、その先に問屋場や飛脚の店、商人や職人の店が続き日雇い稼ぎや百姓の家が立ち並んでいた」とあります。

このように岡部宿は古くから東西交通の要衝にあり、宿場文化の名残が漂っております。

明治以降は、温暖な気候を生かし温州みかん、玉露茶、緑茶、筍等々、農業を主体に発展してまいりましたが、自治制施行により7ケ村が合併して岡部町となりました。

その後、昭和30年3月に旧朝比奈村と合併して今日に至っています。

現在は国道1号のバイパス4車線化も成り、第2東名自動車道岡部・藤枝インターチェンジ建設が進展しつつあり、町の将来像を「ふるさと田園都市」と位置づけ町勢進展を期待しております。

さて静岡県では、2001年から2002年の始めにかけて県内22宿のエントリーを得て、「東海道宿駅400年祭」を開催しました。

本祭は21世紀を祝し、街道や川筋の持つ歴史的資産を活用し、先人から受けた恩恵を確認するとともに、個性豊かな町づくりを進め、県内外に情報発信して、人、もの、情報を呼び込み交流するという目的でありました。

結果は各宿場で溢れるアイディアを駆使し、盛況の内に所期の目的が達成されたことは喜ばしいかぎりです。特に、この時期に県の大規模イベント「しずおか緑、花、祭」、「世界お茶まつり」、静岡市の「全国茶サミット」等々と連携したこともプラスとなりました。

岡部町では宿駅400年祭に向けて平成7年度から5ケ年を費やし「古(いにしえ)の心に学び明日の文化を育むまちづくり」事業として、160余年前の大旅籠柏屋本屋と蔵2棟を忠実に復元するとともに、体験棟、物産販売棟も併せて建設し、東海道岡部宿に現存する江戸時代に建てられた当時の「大旅籠柏屋」として残すことができました。文献によると岡部宿は4回の大火に見舞われている。しかし、柏屋のある本町(ほんまち)は文政と天保の2回だけ類焼し(柏屋の土間の発掘調査でも証明された)柏屋の建物は、天保6年10月19日に棟上げをし、天保7年4月11頃完成をしたようです。

160余年を経た大旅籠の存在は、東海道筋では珍しく貴重であり、随所に創建当時の痕跡が見られることから平成10年10月、国の登録有形文化財として指定されました。また、昨年は静岡県都市景観賞「最優秀賞」にも輝きました。いよいよ11月10日、11日は岡部町の宿駅400年祭「東海道岡部宿にぎわいまつり」の開催です。前夜祭は公募の参加者を含め各人が往時の服装をまとい岡部宿提灯道中が出発。私も代官の旅姿となって参加いたしました。

本(ほん)まつりの11日は晩秋に彩る岡部宿で、大旅籠柏屋及び旧街道を開放して沿道住民と一体となった数々のイベントに歓声があがり、町内外から来訪3万5千人余の賑わいとなりました。

今後は更に宿場文化を楽しく学び、体験の場として活用を図り来訪者の交流や新しいまちづくりの拠点としていきたいと思います。