新潟県赤泊村長 石塚英夫
赤泊村は、佐渡島の南に位置し本土と対峙しています。明治34年に5か村が合併し現在の赤泊村となって、今年が丁度100周年の節目の年に当たり、奇しくも21世紀の初年ということで、いろいろな記念行事を催し村民挙ってお祝いしています。
私は昭和47年村議から村長選挙に立候補するにあたり、「和」を大切にする村にと訴えて参りました。そのことは今も機会あるごとに村民の皆さんにお話ししています。
「和」の意味を調べてみますと「やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやか」などが出てきます。共和、親和、調和、平和等々和のつく言葉は沢山あります。また日本を指す「大和(やまと)国」「倭(わ)」もそうでありますし、十七条憲法に使われて有名になった「和を以て貴しと為す」礼記の言葉が和を集約しているようにも思えます。
「世の中は、人々が仲よくすることが大切である」真にその通りだと思うのです。
しかしながら現実はなかなかうまくはいきません。戦後のめざましい経済発展、科学の進歩から人類は月へも行き、ダイオード、ICの発明から今や瞬時に世界の情報を得ることのできるIT技術の進展、バイオテクノロジー、果てはクローン技術の域にまで至っています。
反面そのような技術の進歩に伴い弊害も起きていると思うのです。子供(大人もそうなのかもしれませんが)の遊びの形態も大きく様変わりし、友達なしでも自分一人で遊ぶテレビゲームや、インターネットなどでバーチャルリアリティの体験、人対人の会話ではなく、あらかじめ作られた機械との会話になってしまって、そこでは通常推察できる相手の感情(それは相手の顔色でも、また語気でもあると思うのですが)が読みとれない世界だと思うのです。
日本の子供達の学力で、最近語学力と数学の低下が危惧される状況にあることを何かの機会に聞きましたが、当然のこととも思えます。意味を充分理解しなくとも平仮名で打ち込めば瞬時に漢字に転換してくれますし、理屈がわからなくても算式に数値を入れればこれもまた瞬時に答が出てくる、そのような時代になってきています。確かにコンピューターというすごいものが造られ、その恩恵に浴して経済が発展してきたことは事実でありますが、それは使うものであって、使われるものではないことを肝に銘じたいものです。
地下鉄サリン事件の様な凶悪なクーデター事件から無差別殺傷事件、性犯罪、児童虐待等々想像もつかない悲惨な事件が相ついで起きています。この原稿を書いている時もアメリカでの国際貿易センタービル、国防総省へのテロ行動という凶悪悲惨な事件が伝えられています。
「人間は考える葦である」以上愚かな道へは進まないであろうが、憂慮すべき状況が世界各地に起きていることは事実です。
私どものような田舎の村では幸いこのような事件はありませんが、過疎高齢化の進むなか、地域コミュニティは以前より薄らいできていることは実感されます。
平成元年度からのふるさと創生事業で、村では「民話の里づくり」に取り組んで参りました。幸い自主活動グループも次々に誕生して、肩肘張らずにできることから実践し、地域づくりを楽しみながらその輪が拡がってきています。また、草の根的な国際交流として毎年行われてきた、アジア文明の原流ともいうべきインドの優れた絵画、音楽、舞踊、食文化等の紹介、公演や、更にはニュージーランド、オーストラリア、パプアニューギニアなども含めた原住民族との交流・親睦などが今年で丁度10年目を迎え、村民が楽しみにしているイベントに育ってきています。
「過疎にはなっても、心の過疎になってはいけない」が私のモットーであり、自分を愛し、隣人を愛し、家族を愛し、地域を愛する心、和を大切にする人、そういう村づくりを目指して今後も努力していきたいと思っています。