徳島県町村会長 上板町長 吉岡義人
昭和61年、地域の人たちに後押しされ、町長に立候補し、4月20日の初当選の栄誉を与えられた。“61歳の春である。”
当時は、歯科の開業医として地域医療に携わっていたが、行政の長としては無(ゼロ)からの出発であった。
「1人の100歩より、100人の1歩・・・」と職員に初訓示を行い、、そえからは試行錯誤の毎日で、一期一会を町長としての人生訓とした。
歳月は流れ、町長職4期目も最後の年となった今、過ぎた日々に思いを馳せると、喜びと苦しみが交錯しながら、写真のフィルムの1コマ1コマを見るかのように鮮明に浮かんでくる。
スポーツ公園の用地交渉のこと、技の館の建設のこと、集落排水事業のこと・・・等々である。その中でも、すべての住民から協力があり、しかも喜びを共有できた2つの思い出を記すことにした。
☆皇太子同妃殿下行啓
徳島県鳴門総合運動公園を主会場として、大29回全国身体障害者スポーツ大会が開かれ、私たちの上板町ファミリースポーツ公園では、、平成5年11月6日・7日の両日水泳大会が行われた。全国各地から訪れた選手の障害を乗り越え力の限り協議に打ち込む姿から、生きる力と勇気を与えられた。そして、私の心を大きく捉えたのは、汗だくになっていつも弾ける笑顔で舞台裏をさせててこられた住民の皆さんである。こんな姿を目の当たりにするとき「町長職についてよかった」と実感することができた。
みんなの思いや感動が最高潮に達したのは、水泳競技場のファミリースポーツ公園に、皇太子殿下、同妃殿下がお着きになられたときであった。私も住民の皆さんと共に玄関で両殿下をお迎えしたときの緊張と喜びの瞬間が、大きな思い出として心に深く残っている。
☆皇太子同陛下行幸啓
あさんライブミュージアム(青空博物館)の拠点施設である「上板町技の館」は、平成10年3月にオープンした。この館は、200年(天正初期)の悠久の歴史の中から生まれたら阿波藍とこれまた200年の伝統ある手作りの製糖技術を持つ阿波和三盆糖の情報発信基地として重要な役割を果たしている。
藍染め体験学習コーナーでは、吉野川の氾濫の歴史を学び、川と戦いながら生きる知恵として生まれた阿波藍の奥深い美しさを学習することができる。
このような体験学習や幅広い文化活動が高く評価され、平成10年11月16日、天皇皇后両陛下の地方行政視察の栄誉を賜った。
その日、阿讃の山波は金色に輝き、静かな風の空間から金木犀の甘い香りが漂っていた。沿道では、日の丸の小旗が渦巻き「技の館」に天皇皇后両陛下の御料車がお着きになると、大きな歓声と拍手が鳴り響き喜び一色に包まれた。
天皇皇后両陛下は、徳島県鳴門市で開催された、第18回全国豊かな海づくり大会にご臨席され、その翌日、上板町技の館へのご視察と相成った。「技の館」では、両陛下が藍染めに深い関心を寄せられたご様子と、地元藍染めグループの皆さんのにこやかなに対応されていた姿も忘れることができない思い出である。
☆結びにかえて
小泉総理の聖域なき構造改革の中で、地方自治は大きな変革の渦の中にあるが、私も住民の幸せのためには改革を恐れず、勇気を持って挑戦したい。しかし、いかに立派な改革であっても住民の納得、同意が得られない改革は存在しない。それには「合意形成」が大切であり、このプロセスで小さな喜びを発見し、積み重ねることにより、行幸啓にみられるような大きな感動となる。
「一期一会」から「合意形成」に心を置き換えながら、地方自治の発展に生涯をささげたいと思う昨今である。