愛媛県関前村長 池田深
日本の基本問題について、考えてみたいと存じます。
言うならば、問題と申しますのは、教育の根本を問うてみたら、国の秩序を定める根本は基本教育というものであります。
敗戦後の日本では、日本民族が2千年かけて育ててきた民族の美風が、自由の名の下に解消されていきつつあります。日本民族古来の思想も努力もなくなっております。
第1に“親孝行”という人間本来の思想も国家主義を連想されて、良いも悪いもなく、全てを解消していくことになっております。
日本国民は、民主主義の自由を勘違いしているように思います。誠に残念に存じます。
自由とは、責任と義務を全うして初めて成り立つものであります。
しかるに、日本国には真の民主主義でなく、アメリカの持ち込んだ事を検討することなく、全てを否定する考えで今日まで古来の美風を破り捨てる方向で処理してきた事を非常に残念に存じ、悲しみを覚えるものであります。
政府の唱える教育改革は、昔日(せきじつ)の古来の美風を取り戻す教育を推奨されるのでありますが、是非、昔の親子関係を再構築してほしいと考えます。
生命の根本である親子関係にすることが、これからの日本には必要と存じます。高齢化の進んでいる社会状況を見るとき特に感じております。
親を看る時、子供として果たす役割分担を全うすべきであります。何よりも血は濃いと申します。親が子供を育てるのは尊く大きなものであります。この事は、私が申すまでもなく、皆、子供の親であり、自身が現実を見て考えてみることであります。
親が子供の為にとる様は、驚くような実例を数多く残しております。自分の子供に対する行動は、恐ろしく予想外の行動であり、自身は食べ物が無く空腹でも辛抱して、子供に供して子供の命を救った例も数多く残っております。
このような実例が、親の愛の大きさを物語っております。その親に対して、現在は、親は親、子は子という様に分離して、自分本意の考え方が社会の常識となりつつあります事を見る時、早く昔の教え方に戻ってほしいと思うことが強くなります。
自由の考え違いから、国民の美風を捨て去ってよろしいものでしょうか。私は、そうは思いません。子としての責任分担は全うする心構えが是非ほしいと考えます。昔の諺に「親の恩は山よりも高く海よりも深い」と言われております。その通りであります。
よって、教育改革で基本を確立してほしいと存じます。民心を1つにすることが何よりも建国の基本でありますことは、何人も異議はない所であると存じます。
自然摂理は、親は親として敬い、責任分担を全うする所が万物の長として地球に住む人間の存在を示す所であります。
中国の孔子を祖とする儒教を教育の基本に置いた教えが昔から現代まで続いてきたのであります。自然を師とする心が説かれておるものであり、人間として尊厳を大切にする教えと、仏教の教えとが渾然一体となりわが国の美風を育ててきてくれたものであります。儒教が朱子学となり、陽明学となって、日本人の骨となり肉となってきたのであります。
有名な句があります。「孝は親を安ずるに大なるはなし。人体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」というように、親への思いを基軸にした教育が、日本民族を奥深い民族へと養成してくれたと存じます。
命の尊厳に対して、限りなく敬意を払い、その行いが社会の乱れを防ぐ基となります。
ここに、遇説を申し上げます。お許しを願います。