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 結(ゆい)

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年11月20日

茨城県桜川村長 飯田稔

「結(ゆい)」とは、農村社会に古くからみられる慣行で、農家相互間の交換契約に基づいて、互助的に行う協同労働である。

例えば、田植えのような短期間に集中的に労働力を必要とし家族労働だけで足りない場合に、複数の農家が労働力を出し合い、それぞれの家の田植えを順番に行っていくというものである。この場合、片務的・無約的な労働提供を内容とする、いわゆる「手伝い」とは区別されるものである。

「結」の語源は、「結う」、「結ぶ」、つまり、結合或いは共同を意味する言葉からきているといわれ、かつては全国的にみられ、呼び名も、「ゆいこ」、「ゆえ」、「いい」、「よい(本村での呼称)」などの転呼があり、その形態もかなり多岐にわたっていたようである。

本村でも、田植え、脱穀調整、葉たばこの収穫及び乾燥調整などの農作業の他、萱葺き屋根の葺き替え作業などでも、「結」が用いられていたところであり、共同労働を行う間柄としても、本家と分家、親戚関係、気心の合う者同士、さらには、集落のほとんどの家が「結」に参加する場合等、様々な形態があった。

本村の「結」では、協同労働を実施する農作業等を年間を通じて取り決めておく場合が一般的であったようであるが、気象条件や家庭事情などの変化に応じて、それこそ、いつ誰とでも契約が成立してしまう順応性に富んだ一面も有していた。

この際、協同労働の契約は、書面をもって行うことはせず、口約束の場合がほとんどで、このことからも、かつての農村社会における人間関係がいかに厚かったかがうかがえるところであり、「結」はそうした人間相互間の信頼のうえに成り立っていたものであることが解る。

また、本村の「結」では、労働の等価ということはたいして問題ではなく、出動個人の労力の強弱・大小にかかわらず、1日の出動に1日の労力を返す形を取り、金銭や物品で相殺することは許さないのが通例であった。

一見すると、利便性や合理性に欠ける契約といえるが、相互間の労働力の提供、すなわち、共に汗を流すことこそが、「結」の基本原則であり、人々の思想の根底に、金や物以上に人の労力と責任感を重んじる精神が存在したからこそ、この慣行が発達し、長年にわたって継承されてきた結果につながったものと思うのである。

「結」にみられる先人の思想は、正しく人間主義・連帯主義を貫こうとするものであり、生き生きとして暖かみのあった、かつての農村社会の基礎石ともなっていたに違いない。逆に、少子高齢の現代にあって、人々の助け合いに支えられた暖かい地域づくりを考え、福祉の進展に取り組もうとするとき、一番重要なことは、正に「結」にみられる人間主義と連帯主義の思想を回復することにあると思うところである。

こうした「結」も、貨幣経済が浸透し、雇用労働により家族労働力を補充する傾向が一般化し、他方では、技術の進展に伴って、農作業の体系も変わってきて、本村においても、しだいに消滅しつつある。

いつの時代もそうであったように、その緩急は別として、社会は絶えず変貌し、人々はそれに順応して生きていかなければならなかったことからも、致し方がないものと納得すべきことかもしれない。

しかしながら、すべての過去を無視し、忘れ去ることが良いのかといえば、これは過ちである。いかなる社会であっても、過去から現在への過程の中で、それなりの歴史があって、その歴史のうえにこそ現実があり、そして、未来の構築のためには、その歴史とこれをつくった土台ともいえる先人の思想を教訓としなければならないからである(持論であるが)。

「結」が何百年続いてきたかは知らないが、時が移り社会が変貌するにつれ、不合理な慣行として、捨て去られようとしているのは事実である。この慣行の継承を人(村民)に求めるつもりはないが、その背景に流れてきた先人たちの貴い思想については、少なくともこれを忘れることなく謙虚に認め、明日の地域づくりのための糧としたいものである。