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 私の好きな言葉「一期一会」

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年10月30日

徳島県板野町長 犬伏正昭

板野町の特産物に“お漬物”があります。吉野川に育まれた土壌で立派に育つ“だいこん、うり”が、漬物の主な原料です。私は、これらの野菜を加工する漬物会社を営み、45歳の成年期を有意義に過ごしていました。しかし、板野町長でありました私の父が急逝するという、私自身の人生ストーリーには無い出来事が発生しました。

父は「拓けゆくあさん(阿讃山脈のこと)」をテーマに熱心に町づくりに励んでおりました。私は、無念さ、残念さに苛まれ、日々虚無の状態でした。

こんな折、父の後援会メンバーが訪れ「あなたは、お父さんの後継者だ」、突拍子も無い言葉に、私は驚きました。

皆様もご承知のとおり、首長が欠けたときは、通知の日から50日以内に首長選挙は行われます。連日連夜、後援会の方々とお話をしていると、父は町民の方々に育てられ護れていたことが強く感じられ、私がそのお返しをしなければならないのだと、町長選挙に立候補をする決意をし、沢山の町民各位から温かい、しかも力強いご支援を賜り、現在4期目を務めさせて頂いております。

前述のとおり、私は民間会社の経営者としての感性は少々あったと思いますが、地方自治の政治家的感覚は皆無でした。1年生時代は、まず「町長とは」の自問自答を繰返す日々の中、「何を何時どのくらいどんな方法で」を脳裏に焼き付け役場内を回り、時には県庁へ足を運び、現場の状況を肌で感じる取るよう務めました。また、私は「一期一会」と言う言葉を生活信条として日々生活をしておりました。

茶道の研究家でもありました幕末の大老・井伊直弼は、「一期一会」について「今日のお茶会は、もう2度とありません。私が最後に立てるお茶です。飲む方も最後のお茶と思って飲みなさい。それがお茶の極意です。」と言っています。

わたしも「一期一会」を心に、1つの会議で、1つの事業で、1日と言う日、1年という期間、引いては4年という任期を真剣に取り組んで来たところです。この中から、難しい課題や問題点を先送りさせないことが、「町長とは」の答えでもあり、私の信条に則するものでもあると信じ、町民の目線に立ち明確かつ明朗に町政運営を図って参ったつもりでございます。

この間、町民の皆様を始め、様々な関係者のおかげを持ちまして、「拓けゆくあさん」も前進し、更には第3次振興計画「活き活きと魅力に満ちた田園都市・板野町づくり」に向けた事業展開も図れ、国や県のインフラ事業や重点事業とも歩調を合わせ、今日では四国横断自動車道板野ICを核に徳島県北部の交流拠点として成長しつつあります。

町の発展や地域振興度合いは、その時代が私たちに与えた1ページに過ぎず、時のチャンスや条件を如何に生かして町づくりに組み込むか、また首長として町民の目線が守られたものとなっているか、にあると近年強く感じているところでございます。

当地域の歴史の紐を解いてみますと、平安の時代から古代南海道(都から四国に通じる官道)を軸に、交通の要衝として文化産業が栄え、時代の変遷を受けながらも今日に至っている長い歴史が脈々と受け継がれております。

私は、この歴史の一行を、1ページを「一期一会」の精神を持って、町職員と共に歩み、「活き活きと魅力に満ちた田園都市・板野町づくり」が進展できれば幸いと存じています。