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 「住民自治の町政」へ 職員・住民ともに意識改革を!

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年7月17日

京都府久御山町長 田口清

久御山町は、京都府南部の山城盆地の中央部に位置し、北西は京都市、東は宇治市、南は城陽市、南西は八幡市に接している。面積は13.86平方kmで、東西は約3.5km、南北は約4.3kmで、町域の大部分は、宇治川と木津川に挟まれ、豊かな自然に恵まれたところに我が町があります。かつては、巨椋池という広大な池があり、そこにはさまざまな魚や植物などが生息していましたが、昭和8年から16年にかけて国営事業として干拓され、今ではのどかな田園風景が広がっています。昭和29年に佐山村と御牧村の2村が合併して、久御山町が誕生しました。

当時は農業中心の町でありましたが、その前年の9月に宇治川左岸が決壊して、町全域が壊滅状態となり、その影響もあってか、昭和31年12月に財政再建団体に指定され、3年3ヵ月血のにじむ思いをした町政のスタートでありました。

しかし、昭和41年に国道1号が町の中央に開通したことから様相が急変し、工場・倉庫等の進出や住宅地の開発が進み、現在では1,500を超える事業所6,600人が約2.7倍に達し、また、平成7年の国勢調査においては、昼夜間人口比率が161.8%で、全国の町村では1番高い町となりました。

顧みますと昭和46年に市街化区域・市街化調整区域の線引き、昭和48年には用途地域の指定を行い、町の中心部に工業専用区域や準工業地域、また、その周辺に第一種住居地域等を指定しております。工業専用地域については、戦時中は京都飛行場で、戦後まもなく開拓農地として農家に払い下げをされ、その段階で、すでに道路や水路が碁盤の目の様に区画整理がされていたこともあって、工業専用地域に指定したものであります。

線引き後、住宅公団や京都府営住宅等の進出に伴う、人口急増に対応していくため、中学校の新設をはじめ、小学校・幼稚園・保育所や中央公民館等々、各種公共施設の新設も行ってきました。このときの久御山町の財政力や関係する方々のエネルギーは本当に素晴らしいものだと思いますし、昭和50年を前後にして、久御山町の現在の原形が確立されました。

その後も人口が増え続け、昭和61年のピーク時には、19,195人となり、新興地域を中心とした公共施設の整備や町民プール、総合体育館の建設を行い、昨年には、生涯学習施設「くみやまふれあい交流館」をオープンし、平成8年1月に竣工した議会庁舎と保健地域福祉総合センターに隣接した、役場庁舎が本年2月に完成いたし、主な施設整備は、概ね整った状況と言えるものになりました。

とりわけ、20世紀は経済的、物理的な豊かさを重きに置いた時代でありましたが、目前に控えている21世紀は、介護保険をはじめ福祉の充実や地球環境の保全、文化の振興など、住民が安全で安心して暮らせる真の豊かさが問われる時代を迎えようとしています。

そうした中で、昭和47年から今日まで普通交付税の不交付団体という、他の自治体と比較して若干めぐまれた財政環境にあり、今後におきましては、このめぐまれた環境をより有効に生かすべく、住民の身近な生活支援を最重点課題(目標)として取り組み、町政の基本は、住民を軸に、住民が自ら治める「住民自治」の町政推進へと職員はもちろん住民の意識も改革しなければならないと考えます。これからは、みんなが自信と誇りを持ち、一丸となって町政を前進させていかなければならず、そのためには、議会、住民そして職員が三位一体となって久御山町政の充実を図り、大きな目標であります「豊かさを実感し、活力を創造する文化・産業都市」を目指していきたいと考えております。