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 金ヶ崎町と武家屋敷

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年5月29日

金ヶ崎町と武家屋敷

岩手県金ヶ崎町長 高橋紀雄

金ケ崎町の西の限りは奥羽山脈の頂であり、東の限りは大河北上川である。この山と川の間は山岳部、山麓部、平野部とに分けられる。先人は各時代に山麓部、平野部でたゆまぬ努力を続け、豊かな土地を育んできた。

私は11年前に金ヶ崎町に戻って、ここに暮らすようになってから、四季折々に仰ぎ見る奥羽の連山、悠々と流れる北上川を望むたびに金ヶ崎の豊かさを知らされてきた。この豊かさは、先人が自然に働きかけてつくりだしてきたものに他ならず、今日の金ヶ崎の礎でもある。

この豊かさを永遠に守り伝えていきたいと私は平成元年に「ゆとりのあるまちづくり懇談会」を組織し、町民から提案、ご意見をいただいた。それらの多くは歴史や自然を大切にし、また各地域の個性を出せるような「まちづくり」をすすめたいというものであった。そこで私は自然、歴史、個性を核にして、町内に3つの公園を造ることとした。このうちの1つに西根城内、諏訪小路地区の武家住宅群を対象としたものがあった。

城内、諏訪小路地区は近世に西根村を治めた伊達氏御一族大町氏の館と家臣団屋敷のあったところで、現在もヒバの生け垣に囲まれた屋敷や武家住宅がみられ、閑静な住宅地であり、近世地方邑主の小城下町の風情を良く残しており、町の自慢の地でもあったが、しかしその学術的な実態は不明であった。

町が東北大学の名誉教授佐藤巧先生に、城内、諏訪小路に残る近世の侍住宅について調査をお願いしたのは平成3年のことであった。

佐藤先生の調査報告によれば侍住宅が十数棟あり、建築年代の一番古いもので18世紀初期、新しいもので明治35年(1905)のもので、約200年間にわたる建築遺構が現存していた。また何よりも驚いたのは江戸時代の町割り―都市計画がそのまま存在していたことであった。また侍屋敷を囲む生け垣の長さ、樹木の豊かさについての重要性についての示唆も頂いた。

そこで5年には岩手大学名誉教授の沢藤雅也先生に更に城内、諏訪小路の庭園・樹木の調査をお願いした。沢藤先生は侍屋敷に残る見るべき五庭園と総延長約1キロメートルを越える生け垣、調査の対象となった1,000余本もの樹木のうち、約600本が樹齢100年以上を数えるものである等の報告を受けた。

更に佐藤、沢藤両先生の調査を基にして八年には文化庁の支援をうけて、伝統的建造物群保存対策調査を東北大学伊藤邦明教授にお願いをした次第であった。

この調査は当該地区の歴史的調査、集落・都市構造調査、集落・都市のルール・システム調査、そして当該地区の保存に向けた試案の策定などの項目からなる総合調査であった。

伊藤教授は当地が北上川、胆沢川によって形成された舌状台地を巧みに利用して、まさに天然の要害を造っていること。旧仙台藩21要害の中で構造と遺構が最も良く残っていること。舌状台地を囲っている半自然的な樹木群と各武家住宅を囲っている樹木群の存在を高く評価し、居住空間のみならず生物学的多様性に恵まれている地域であることなどを導き出し、歴史と自然が渾然一帯となった景観をなしていることを明らかにされた。

この地域の景観こそが金ヶ崎の歴史、自然、個性を最も良くあらわしており、また人が生きていくうえでの本当の豊かさが秘められていると考えることができるのである。

これからのまちづくりは住民参加はもちろんのこと、量から質への時代である。ゆえに城内、諏訪小路地区の伝統的建造物群を核とした歴史公園―まちづくりの方向は、次世代に提示できる可能性を多く持っているし、当町が進めてきた生涯教育と、昨年2月国際環境標準ISO14001を認証取得するなど田園環境保全宣言の実践と発展にも深く係わっていると思う。

金ヶ崎町の伝統的建造物群を、国の重要伝統的建造物群の保存地区に選定されることこそ、金ヶ崎の21世紀のまちづくりの扉をおしあけることでもあると考え、選定に向け着々準備を進めている次第である。