神奈川県真鶴町長 三木邦之
毎月1回発行される町の広報紙に「町長室通信」というコラムがあります。この欄は、私が町長に就任した時から続けているもので、108回を数えております。1回が1,200字程の随想ですが、10年が過ぎてみると、10万を超える原稿用紙の枡目を埋めたことになるのです。我ながらよく続いたものだと驚いておりますが、いざ書く段になると筆が進まず、いつも苦しんでおります。首長職は激務であるというのは定説のようになっているが、たまにはポッカリと時の谷間のような暇もある。そんな時間を利用して原稿を書いておけばよいのだが、締切り日が迫らなければ書くことができないのです。毎月訪れるこの苦しみから逃れるため、過去に2度、選挙を口実にこれを中断したことがあります。しかし、再選、3選のその都度「町長室通信待っているよ」という町民の声がかかる。「もういい加減にしてよ」という人もあろうが、その声は私の耳には届かない。かくして両三度の再開をやむなくしている仕儀と相成っております。
随想の内容は、湾岸戦争、大震災から町村合併、犬の糞まで大小多種多様、それでも読者からは、私の考え方や町の様子が良くわかると、おおむね好評のようです。この声を素直に受ければよいのだが、やはり何かひっかかるのです。振り返れば、町長となってすでに10年が終ろうとしています。この間、議会には、ほとんどの議案を全会一致で議決して頂き、3回の選挙も、回を追うごとに町民の支持は増し続けてまいりました。しかしなお「町民の声は確かに私の耳に届いているのか?」というおぼろげなる不安は消し去ることができないのです。
1期2期と期を追うごとに、この考えはさらに増すばかり、そして3選を果たした直後、引退を決意するに至るのです。決意をすれば直ちに表明が私のやり方、昨年10月5日、残任期間が1,000日を切ることになりました。これも町長室通信で報告いたしました。さらに、残された期間を全力で走り抜くための「健康維持」を1つの理由に「町民とのさらなるふれあい」をあと1つの理由として通勤に車を使うことを止め、町内行脚をすることにきめました。「そんなことができるものか」とは広い町に住む人の言い分、小さな町「真鶴」のそこが便利なところです。
真鶴町、面積7.02平方キロ米、町役場を中心に半径3キロ米の円を画けば、すべての人家がこの円の中に入ってしまいます。一番遠い家を訪ねても、速足で歩けば30分で行くことができるのです。私の家から町役場までは歩いて10分かかります。これを平日は2往復、坂道が多いのでかなりの運動にはなりますが、さらに運動量を増すために、朝は20分程早く家を出ます。「早起きは三文の得」とやら、これで通学の子ども達とあいさつができます。ごみ出しの状態がわかります。朝の気持よい空気がたっぷり吸えます。いいことづくめの朝のまわり道、コースを替えながらまわりますが、それでもまわれぬところへは、土日や祝日を利用いたします。比叡の「千日回峰」には及ぶべくもないが、せめて日数だけはと真似て始めた「千日回町」もまだ6カ月それでも180日を歩くといささかなりとも足に自信が湧いてきます。そんな折、シドニーオリンピック女子マラソンの最終選考基準となるレースが名古屋で行われ、最強ランナーと言われながら、ケガに泣いていた高橋尚子選手の最後の挑戦をテレビで観戦しました。その強さに驚き、さわやかな走りに感動しての翌週の日曜日、いつもは真鶴半島の先端まで行き返る一時間の歩きが、この日はやけに箱根外輪の麓までが近く見える、一時間後、目指した尾根にたどり着く、今度は山から海を眺める。歩いた長さを一望することができるのです。あと820日歩いた後に見えるもの、それは136回目の町長室通信に書き綴ります。