ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  「絵本」によるまちづくり

 「絵本」によるまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年11月1日

富山県大島町長 吉田力

富山県は来年県政2度目の国体を迎えることになっている。弓道競技を開催する当大島町は富山平野の中心部に位置し、県都富山市から15km、高岡市から5km、JR北陸線沿いの面積7.96平方kmと県内35市町村の中で33番目の広さしかない町である。ちなみに大島と名のつく町村は全国で7町村あり、東京・長崎・山口の町と、新潟・長崎・福岡の村である。

8年前から私の呼びかけで全国大島リンク会議を開催し、切磋琢磨しながら、仲良くさせていただいている。

高度成長の始まる前の当町では平坦地が広がり、水稲の単作地帯に含まれる純農村であったが、交通上の要地にあるためモータリゼーションの進行につれ、町を東西に貫く県道富山・高岡線沿いに工場や商店が軒をつらねるようになり急速に都市化が進展し、昭和30年に5,001名の人口が今日9,263名を数え近隣町村に通勤するサラリーマンのベッドタウンとなっている。

町民の平均年齢は県内で2番目に若く、町政にも多様な要望が寄せられている。

私は昭和63年から町政を担当させていただいておりますが、かつては自慢する特産品も、町外の方に案内する名所もなかった町でありました。特徴のない町に何か代名詞になる施策をと想いをめぐらし、「絵本」によるまちおこしをと一念発起し、平成3年町総合計画に絵本文化推進事業を盛り込みました。

構想の発表当初は、町議会や各種団体の会合でも「絵本」を使って自治体が事業を興すという試みがなかなか理解してもらえず苦労いたしましたが、県の中沖知事さんが大変絵本文化に理解があり、強い応援をいただいて平成3年6月に事業認定をいただきました。

その後、平成6年に活動の拠点となる「大島町絵本館」が完成しました。当時の町の一般会計26億5千万円の予算規模で13億5千万円の事業費であり、事業が上手くいかなければ相当の覚悟で臨みました。幸い、時代が求めていた施設の趣きで平成6年開館以来、今夏まで23万5千人の入館者を数えております。近年は、国内外の絵本作家の原画展やさまざまな催事も行い、6月には発足したばかりの日本絵本学会の第2回総会も行われようやく全国に知られるようになりました。

「三つ子の魂百まで」と言われるように、幼児期に絵本によって培われた心性は、時には生涯の生きざまを左右します。それほどに絵本の持つ力は大きいのです。

少子、高齢の時代を迎えた日本。私たちは戦後の民主主義と、高度経済成長を通して物質的な豊かさを相当達成したと言われている。

しかし、ここ数年信じられない凶悪な事件が多発している。今一度、幸福とは何かを基に私たちのたどった道程を再発見(みなお)し、人々の精神や魂の豊かさ・自由さ・心が健やかに発心する雰囲気を造り出せるように思いをいたすべきではないでしょうか。

国会では世紀の変わり目にふさわしく、国旗国歌法・通信傍受法・住民台帳法など生活に密着する法律が可決されている。今こそ日本人とは何か、日本国とは何かといった根元的な思索とともに、私たちはどこへどのように何を求めて行くのか、地方分権の夜明け前の今日、私たちはもっと議論し、過疎、過密、自然保護、介護や福祉の問題もより深く掘下げるべきではないでしょうか。

絵本という学際的なソフトが、人間の幼児期の発達に多分に関わっていることは、だれしも認めるところであろう。

“もっと自由に・もっと豊かに”とは、イタリアの芸術家ブルーノ・ムナーリの言である。

私たちは勇気と創造力を駆使して、子どもが授かっている(内なる力)を引き出し、その力を伸ばしてやることにより、未来の豊かな地域づくりにつなげていきたい。