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 今昔物語

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年8月30日

沖縄県玉城村長 知念信夫

冷戦が終わりを告げ、世界各地で民族主義が台頭し、民族や宗教の違いから或いは領土問題等で紛争の絶えることがない。

記憶に新しい所では、イラク戦争、ルワンダにおけるツチ族、フツ族の大量虐殺、ユーゴスラビア、コソボ自治州のセルビア人とアルバニア人の紛争等である。歴史をたどればその昔から加害者が被害者となり、被害者が加害者となった経緯と、強者が弱者を抹殺するケースが多い。

青い惑星の地球上には、60億近くの人が住んでいる。発生のルーツについては、長い年月の研究から近年特にDNA鑑定の結果が真実に迫るものと考える。つまり、今日まで人類の起源はジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人とされてきたが、DNA鑑定の結果、原人と現人との間につながりがなく、地球上のすべてのヒトの集団は約20万年前にアフリカを起源とする説に変わってきた。

沖縄のことばに「イチャリバチョーデー(会う人は皆兄弟)」というのがあるが、地球人は元をただせば皆血縁関係にあったということである。紛争のない平和な惑星にしたいものである。

次は、日本に目を向けてみよう。今日まで大和民族という誇りで混血のない純粋な単一民族と考えられてきたが、縄文系と弥生系の入れ変わりを始めとして、大陸や北方、南方からの渡来で世界でも類を見ない混血度の高い国民であることが分かってきた。沖縄では那覇市山下原洞穴の人骨や具志頭村港川のフィッシャー人骨が2万年~1万8千年前のものと言われ、6万年前から3万年前の氷河期に大陸と陸続きであった頃、獲物を追って島にたどりついたと考えられる。その次がアマミキョ族の渡来説である。

玉城村には沖縄民族発祥の伝承がある。村土17平方キロ、人口1万1千人の純農村である。沖合に展開する珊瑚礁のリーフ、白い砂浜、深い緑と豊かな湧水、数多く残る史跡群、村中が文化財の宝庫である。その昔(紀元前2千年頃と推定されている)はるか東方のニライカナイの楽園から海をこえて、沖縄本島に始めて上陸した聖地(ヤハラツカサ)仮の宿となった聖地(浜川御獄)定住の聖地(ミントン城)があり、沖縄中の各門中(父系血族の一門)から毎年拝みがあり、琉球王朝時代も歴代の王が村内の各聖地を巡拝する行事があって、祭政一体の重要な儀式であったことからも、民族発祥の伝承は真実さが伺える。

村の産業は農業が主で、一昔前までは広大な水田が広がり、肥沃な畑と共に産業の村、人材の村としての名声を博していた。

現在は、水田は消え、土地改良された圃場にはハウスが建ち並び、花卉、果樹、野菜、サトウキビの主産地となっている。

次に衣食住についてふれてみたい。芭蕉布と言えば、沖縄を代表する着物である。大戦前までは、新しい着物は外出着、古着は農作業用として定着していた。現在は、民芸品的で高価になり、踊りの衣装として愛用されている。食は、甘藷が主食で、米は換金のため日常はあまり食膳に上らなかった。住については、赤瓦の屋根と茅葺屋根の涼しい建物であったが、戦災で焼失し戦後は無理をしてでも台風対策のため鉄筋コンクリートの建物に変わった。屋根の上に丸いドーム型のタンクが数多く見られ、県外の方にはテレビのアンテナに見えるそうである。水資源が少ない知恵で水を貯えるタンクである。

教育の中でも言葉の歴史がある。戦争中、中央集権・富国強兵施策の中、方言排除が実施され、うっかり方言で話すと大きな方言札を首からかけられた。日本の古語が沖縄方言に残っていると言われ、今では貴重な文化となっている。(例として、メンソーレー=いらっしゃいませ、アケズ=トンボ、ハベル=蝶など)。生活面では、貧富の差がなくなったと言えようか。昔の貧乏人は肩身の狭い思いで毎日を暮らしていた。学校でのアンケート調査では、子供の総てが中流以上の家庭と意識している。交通面では昔は足が頼りであった。現在は、自家用車の普及で行動半径が広くなり、飛行機も利用しやすくなって地球も狭くなったものである。

首里城の正門前に守礼之門が建ち、守礼之邦の扁額が掲げられている。13世紀頃から始まった大航海時代、アンナン・シャム(ベトナム・タイ)方面まで交易のため出かけた琉球人は、礼儀正しく勇気があって、外国の商人とは区別される程尊敬されていた。

戦後この方、非礼の邦になりかけた時があった。去る大戦で鉄の暴風が吹き荒れ、守礼の気風も吹き飛ばされ、裸一貫になったとき近くに山と積まれた米軍の物資があって、戦果と称して失敬したものである。その悪習慣がしばらく続き、良心ある県民を憂慮させた。時代も移り変わり沖縄県は今、観光立県を目指していてやがて500万人の入込客が実現しようとしている。

玉城村も観光振興を村づくりの主目標にしている。現在200万人余の入込客があり、名実ともに元の守礼之邦に早く戻りたいものである。