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 「歩く」町づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年8月23日

福井県上中町長 霜中衛

福井県の嶺南地方に位置していますと表現するよりも、若狭の国のほぼ中央と位置づけた方が理解が得られやすい土地柄とでも申せましょうか。その若狭の国のほぼ中央に、わが上中町があります。

若狭と言えば、風光明媚なリアス式海岸を連想されると思いますが、上中町は海を持たない町であり、人口8,200人の小さな、のどかな純農山村です。かつて、若狭の海でとれた新鮮な魚介類を小浜市からわが町を経て京都の台所まで運んだという若狭街道、即ち鯖街道が町の中央を貫通しています。現在では、車で琵琶湖まで20分、京都までほぼ1時間の距離となっています。

その鯖街道の福井県と滋賀県の県境に、宿場町「熊川宿」があります。平成8年に文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、今、保存修復に力を注いでいるところです。一方「鯖街道」も、時を同じくして、建設省の道路局から「歴史国道」の選定を受けました。その上、環境庁から選定された日本名水百選「瓜割の滝」が物語るように「美しい、おいしい水」が豊富で、熊川宿の前川と共に、これも国土庁から「水の郷」の選定を受けております。「水」と「町並」と「街道」を大切にしながら、そこに住んでいる人達の細やかな人情と歴史、自然がじっくりと溶け込んでいるのが、若狭の国上中町なのです。

日本列島のほぼ中央に位置しておりますが裏日本、日本海側、気象条件等のイメージから、開発が少なからず遅れている地域と言えましょう。しかし、その現象が、水と町並、そして街道を温存してくれたのだとも思えるのです。

今、この遅れを取り戻すために、特に公共交通網の整備に全力を注いでいるところです。すでに、建設省から施行命令が出されている近畿自動車道敦賀線をはじめ、若狭回りの北陸新幹線、JR小浜線とJR湖西線とを接続する新規鉄道の敷設等、一気に浮上してきており、嬉しいやら、苦しいやらの毎日に追われております。これらの公共交通網の整備がわが町が今日まで温存してきた、細やかな人情や水、町並、街道を本物として蘇生させてくれるキーワードなのだと、日々前向きに努力しております。そこで、私は、この町に住む人達が、生涯、現役として、また生き甲斐を持ち続けて暮らすために、「いきいき健康の里づくり構想」を描いています。

この構想は、何も難しい理屈を並べたものではなく、自分の立場で、自分のレベルで、町づくりに参画していただこうとするものです。具体的には、人間の基本的な動作である「歩く」ことの再発見です。車社会や各種通信網の異常とも言える進展によって、私たちの暮らしから、歩くことの基本行動が著しく奪われており、このことが、健康な身体のバランスさえも崩しつつあると思えてならないのです。

そこで、わが町が持ち合わせている、町並、村並、山並、そして人並を歩く視界で再発見しようというのです。自分で歩いて、自分の目で確認することから、自分の役割を発見し自分の行動を起こす。そんな町づくりに参画してほしいと思うのです。そのために、歩く呼び掛けだけでは人は動いてくれません。まずは、集落ごとに歩くルートマップづくりを進めております。初めは、集落の名所、旧跡をマップに落として行きますが、それぞれが自分の歩く行動によって自分のルートマップを作成してくれる様になればと期待しています。皆が同じ視界では本物の町づくりにはなりません。自分のレベルで歩いて自分の五感に響くものを、そしてそれに対して、自分が行動できる役割を考え、自分で実践してほしいと思っているのです。

「町の資源がわかる・町の問題が見えてくる」この事が、わが町の環境と健康を軸とした「いきいき健康の里づくり構想」なのです。

水と町並と街道の町に、人々が生涯現役として暮らせる時、「活きてるね、ほっとかみなか」が本物になる町だと思っています。