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 町の今昔

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年7月26日

静岡県雄踏町長 藤田源左衛門

まず、雄踏町の紹介をさせていただきます。東海道新幹線に乗り、東京からも、大阪からも、約2時間である浜名湖の東岸に位置しております。南と西は浜名湖に、東と北は浜松市に接していて、行政面積8.15平方キロメートル、人口1万4千人強。現在の車社会では5分位で町を通過してしまう極く小さな町であります。

このように東海道メガロポリスの中間点にありながら、町には鉄道が通っておりません。もちろん、駅はありません。その上、国道も通っておりません。県道が3路線通っているのが現在の状況であります。

私は、昭和5年6月の生まれですが、その当時は陸の孤島といわれ、最寄りの東海道本線の駅までは徒歩で約30分、急行停車駅である浜松駅までバスを利用して約30分を要するという時代でした。現在は、車社会の到来で約15分で東名高速道路のインターチェンジに乗り入れることが可能となり、東西の主要都市圏への往来が大変便利になりました。また、最寄りの東海道本線の舞阪駅までは、車で約5分、東海道新幹線を利用すれば、東京、大阪まで冒頭の時間で行くことができるようになり、今昔の感一入という時代になりました。

風光明媚な浜名湖と温暖な気候に恵まれ、町の大部分が平野という自然環境のもと、古くから農業と漁業が盛んで、半農、半漁の生活を営んでまいりました。人口は昭和19年ごろまでは1万人弱で推移してきましたが、昭和20年に1万人を超え、その後、住宅用地の開発により昭和48八年から昭和50年にかけて急増し、現在の人口に達しています。この間、浜名湖の湖面の埋め立てにより、町の面積も昭和25年の7.2平方キロメートルから8.15平方キロメートルになりました。人口密度も2,060人となり、宅地化が進んでいるのが現状であります。

産業においては、輸送用機械を中心とする第2次産業が就業人口の約半数を占めていますが、タマネギ・サツマイモ・稲作などの農業、ウナギ・アサリなどの漁業も盛んに行われています。しかし、全体としては、工業都市浜松市に隣接する立地条件から、住宅化へと変化をしています。

このように昔は「うみべのまち」として栄えていましたが、現在は浜松市のベッドタウンの色彩が濃く「サラリーマンのまち」へと姿を変えつつあります。

町全体が栄えるには、第1次産業、第2次産業、第3次産業のバランスが保たれているのが理想であると言われていますが、現在の当町の産業別就業人口の比率は、第1次産業が7%、第2次産業が46%、第3次産業が47%の割合でバランスが保たれている状態ではありません。浜名湖という天然資源を守りながら、どのように対応していくのがよいか、これからの大きな課題であります。

モータリゼーション等の到来で、地球環境や環境ホルモンなど、問題提起がされていますが、これを解決する方法は技術革新で乗り越える以外にないと思っております。後戻りはできません。少子高齢化社会の到来で、児童福祉、老人福祉、保健医療、年金対策、新たに取り組まなければならない介護保険など多くの課題が山積しております。さけて通ることはできません。今後の最重点事項であります。

以上、問題点や課題はありますが、浜名湖の水質と環境保全に努めるとともに、本町に生活する1人ひとりの住民が、恵まれた自然環境や人を大切にする伝統を生かし、常に未来に希望を持ち、生涯を通して生き生きと充実した生活を送れる町「明日に向かって成長するまち」づくりを目指して努力している毎日であります。