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 町づくりの為の私の健康づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年5月31日更新

宮崎県野尻町長 長瀬道大

「一筆啓上・・・チイチクチイチクチクチイチイチイ」今日も雄のホオジロが澄み切った力強い声で鳴き続けている。いつものように小高い小枝に陣取り「どうだきれいな鳴き声だろう」と、いかにも自信満々げに、しかも自分の所在を精一杯アピールしているかの如くである。きっと新しい恋人を探し求めているのだろう。その下を玉の汗をかきながら黙々と走り続けるジョギンガーには目もくれようとしない。

私は十数年前から、殆ど毎日のように約1時間ジョギングを続けている。それは早朝であったり、夜間であったりで、又日曜日ともなると昼間であったりする。

町長選挙出馬の為に、妻の猛反対を押し切り5年前に46歳で役場を退職した。妻が反対するのもむべなるかな。というのも3人の子供はまだ小さい上に、何といっても当町は2大派閥の下、県内有数の政争の町なのである。“このままでは町の発展は望めない、自分の力で何としてでも派閥解消を”と一念発起し、いささか無謀とは思いつつも立候補を決意した。恐らく大方の町民が永い政争に辟易していたのであろう、結果は無投票による当選であった。さらに去る1月の町長選挙も他に立候補者がなく、2期続けての無投票当選ということで、むしろ大きな責任を負ったような気がしてならない。

それにしても首長というのは、孤独でしかも激務で気苦労も多く、余程心身共に強靭でなければとてもじゃないが勤まらない、等とつくづく思う昨今である。

ジョギングを続けていて本当に良かった。悩み多き日々の中に、自分の時間を見付け思うまま、自由気ままに走れるのである。尤もジョギングに興味がない方にすれば、猛暑の季節、全身滝のような汗を流しながら顔をしかめつつ走っている姿、寒風の中をはな水をすすり上げつつ黙々と走り続ける姿を見るにつけ、もう付き合っておれないと思われるにちがいない。しかし、当の本人にとっては1日の中でこれ程楽しい一時はないのである。誰に干渉される訳でもなく、緑深き自然の中を、四季折々の花、草木そして小鳥たちに時には声をかけ、又時には彼らに励まされながら全てを忘れさせてくれる。お陰様で心身共にすこぶる健康で、町長就任後も1日たりとも寝込んだことがない。

ここで少し我が町の宣伝をさせていただきたい。当町は南九州、霧島連山の麓東部に広がる、シラス土壌からなる台地で、宮崎市から車で50分に位置する畜産と園芸を主体とした農業の町である。町村憲章に“フロンティア精神高揚宣言の町”とあるように、正に開拓の歴史そのものの町である。江戸時代から明治、大正、昭和初期にかけて、主に鹿児島県、福岡県から多くの方々が移住して来たという。大きな夢を抱き移住して来たものの、昭和になっても鉄道もない陸の孤島で、その上農地の殆どは荒地で、しかも水利に乏しく飲料水にも事欠く苦難の日々だったという。

しかし、そのような逆境にもめげず、近隣の町村に四箇所ものダムを造り、荒地を美田と化していった。さらに甘藷に代わる作物としてメロン栽培に成功し、今では県内最大のメロン産地と成している。なおそれまでは観光には無縁の町と思っていた当町にも、平成4年“のじりこぴあ”がオープンした。入場料無料で、メロンドーム、コンビネーション遊具、観光バラ園に魅かれるのか、年間30数万人の方々に入園いただいている。

さて現在の日本は、戦後最悪の経済状況でしかも第3変革の時代ともいう。地方分権が進む中、こういう時こそフロンティア精神を発揮し町づくりに専念したい。その為には常に心身共に健康でいなければならない。

明早朝もあのホオジロの力強い声を聞けるだろう。楽しみである。