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 下排水整備に想う

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年5月24日更新

兵庫県加美町長 森野義史

中国山地の山麓に抱かれ、山紫水明の自然の里を町民総ての誇りとし、清流杉原川(兵庫県最大河川加古川の支流)の四季の移ろいに心安らぎを覚えた私たちの町でしたが、いつの頃からか(昭和40年代と思える)水質の変化が忍び寄っていました。

見た目には全く変化のない清流でしたが、ある日突然大昔から生息していた川雑魚が姿を消し、今まで見た事もない下流の魚を発見したときは、驚きと言うより何だか知れない大きな力でぶん殴られたような気分を町民誰もが受けました。

「下流の町へきれいな水を送ろう」を町の合言葉として我が町の挑戦が始まったのは昭和50年代を迎えた頃でありました。汚水を流す工場もない町で水質悪化の源が生活排水にある事は明白であっても早速に下水整備に着手出来る環境ではありません。その中で、取り上げられたのが町婦人会の石けんを使う運動の展開でした。やがて町内のお店から合成洗剤はなくなるといった徹底した住民運動がその後の行政展開を容易にした事は大変嬉しい限りでした。

豊富な地下水(伏流水)に恵まれた当町では各戸に井戸があり、冷たく、きれいでおいしい水が幾らでもありました。

ところが保健所で水質検査をしてもらうと80%以上が飲料不適であり、がく然としたのも期を同じくしており、全町上水道の布設が急務との認識で、町はその啓発に努めたのは当然であります。

併し見た目には全くきれいな、しかもおいしい自ら容易に離れようとしない住民皆さんの心情もあり、事業着手への合意形成は困難を極めましたが最後には当時の町長(竹本修二氏)の大英断で分担金を徴収しないでの事業が決定され、僅か二ヶ年で全町上水道が整備されたのであります。

昭和55年前職を引き継いだ私の最大の課題は環境問題の集大成としての下排水整備でありましたが、財政基盤の劣悪な農山村の事業としては工事費の巨額、技術面での対応等々難問が山積しており、まずは上水布設の例にならうべく基金積立を考えました。

当時は下水整備を意図した首長がその困難から辞任をされた例を耳にしたものですが、技術的にも小型合併浄化槽、農業集落排水、コミプラと私達の町でも事業として可能であると判断をし、基金も十数億に達したのを期に昭和62年より工事に着手、平成5年には100%達成という町を挙げての喜びを迎えることができました。

私自身26集落も何回も訪れ、事業の必要性、工事の内容、等々の説明を行いましたが生活関連の課題でもあり、家庭の改造に多額の費用が必要でもあり、何としても女性の皆さん方の積極的参加を期待すべく、必ず部落の集会には女性の出席を要請し、上水道の例もあり、巨額とはなっても分担金は基金投入を予定して徴収しない事として合意形成につとめました。

幸い全町計画が1年間で出来ましたが、町内8ヶ所の集合処理場の位置決定、集合処理区と小型合併処理区の色分け等難問もありましたが、地元関係者に大きく責任を持って頂く事により解決をいたしました。

時流にも乗って5年余の歳月で全町下排水が完成をし、小型合併槽についても町がかかわった組合を設立し、今では徐々にではありますが杉原川の流れに梅花藻がかかつてのように繁茂しはじめ、川雑魚も蘇ってきつつあります。

住民みんなの快適な生活の確保、どんどんと増え続ける老人皆さんの家庭内介護や自立へのかかわり等、おかげで好評そのものでありますが、中でも町民の1人1人が住む事に誇りを持った事が、この町の21世紀へかける夢を膨らませるに足る事に意義を覚えながら、過ぎ去った20年を回顧するこのごろであります。