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わが町の自慢

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年4月19日

島根県横田町長 高橋隆一

町民が自らの町に誇りと自信を持つことがまちづくりの第一歩であると、昭和60年に横田町の愛称を募集することにした。応募のあった作品の中に多く見られたのが、「神話」、「そろばん」、「たたら(製鉄)」、「工芸」、「(豊かな)自然」、「和牛」、「米」などの言葉である。最終的に愛称は『神話とたたらの里』と決まったが、それぞれの言葉に町の特徴や町民の思いが込められており、横田町を語る上では重要なキーワードとなっている。今回『随想』の場を借り、これらのキーワードを元に我が町を紹介してみたい。

高天原(たかまがはら)を追放された須佐之男命(すさのうのみこと)が出雲の国肥の川(ひのかわ)の上流、鳥髪(とりかみ)の地に降り立ち稲田姫と出会う。ここから雄大なおろち退治の神話は始まっていくが、肥の川とは横田町の中央を流れる斐伊川。鳥髪の地とは横田町と鳥取県の県境にそびえる船通山(せんつうざん)(標高1,143m)である。

この神話の山、船通山の麓では現在でもたたら製鉄が営まれている。たたら製鉄とは中国山地の良質な砂鉄を原料に、そして豊富な森林が生み出す木炭を燃料として、優れた和鉄を生み出す古来の製鉄方法であり、明示時代に西洋式の製鉄技術が導入されるまで、横田町を中心とする奥出雲地方は全国の鉄の70%を産していたと言われる。このたたら製鉄の炎は長く途絶えていたが、昭和52年に横田町鳥髪の地に『日刀保たたら』として復活。現在、日本で唯一古来の製鉄法を伝承するとともに、そこで作られる玉鋼は日本刀の材料として全国250名の刀匠のもとに届けられている。

一方で横田町は160年の歴史と日本一の生産高を誇る雲州そろばんの町としても知られている。電卓の普及やコンピューターによる経理システムの変遷等により昭和54年をピークにその需要は減少しているが、そろばんのもつ教育的効果には高いものがある。そこで平成2年からこのそろばんを活かした国際交流・協力事業に積極的に取り組んできた。手始めに町内の中学生をそろばん大使としてニュージーランドへ派遣し、そろばん文化を紹介する活動を行ってきたが、平成6年にはタイ国へのそろばん指導者派遣事業を始めた。その結果、タイ東北地方の180の中学校で4千名余の生徒が日本式そろばんを学ぶことになった。平成9年度には、この活動とそろばんの教育的効果がタイ国教育省に認められ、タイ全土の小学校で教育カリキュラムに取り入れることを前提にタイ国教育省は、小さな地方自治体である横田町に対し協力を求めて来た。この事業は小さな町の資源を活かした国際協力事業として注目を浴びると同時に、町民にとっては、町の資源が国際的に認められることにより大きな誇りと自信を与えることになった。

鉄を作り、そろばんを作りつづけた横田町には、独自のものづくりの風土が生れてきた。近年横田町では、「奥出雲手作り村構想」を掲げ、その呼びかけに応えた工芸作家等のU・Iターンが続いている。一方で中山間地では極めてまれなデザイン系の専門学校の誘致も行い、工芸作家を目指す若者を迎えることになった。彼らが第一印象として語るのが、ものづくりの風土と町の持つ開放性である。

横田町は豊かな自然にも恵まれている。また、先人達の長年の努力により、和牛の産地として、良質米の産地としても評価が高い。当然行政施策としてもこれらを活かす努力を続けているが、こうして町の紹介をしながら、あらためて神話の時代から現在に連綿と続く町の歴史とそこに培われた風土に思いを寄せている。