岩手県川井村長 原 眞
私の村は、岩手県の中央を縦断する北上山系の中央部に位置し、西部に県都盛岡市が隣接すつ水と緑豊かな自然に恵まれた農山村であります。
563.07平方キロメートルの広大な面積を有しているものの人口は4,100人で、典型的な過疎地で少子高齢化が急速に進行している行政課題多き村でございます。
さて、本村が10年前に取り組んだ未灯火地区解消事業について回顧したいと思います。
先日“タイマグラ地区電気導入「10周年記念祝賀会”という小宴を開催いたしました。
事業の計画から完成まで、粉骨砕身、日夜必死にその任に当たった方々が一同に会し、当時を回顧し思いを馳せておりました。
タイマグラ地区は、北上山系の霊峰早池峰山の麓に拓けた風光清涼な地帯で、キャンプ場、山荘、バンガロー等の施設が整備され、村民をはじめ多く県内外の人々に利用されています。
戦後、林業関係者や開拓農家が入植し、一時は10数戸30数人により畑作や林業を営んでおりましたが、時代とともに離村者が相次ぎ、現在では4世帯のみとなっております。
集落として盛んだった昭和20年代には、風力による自家発電装置から文明を享受しておりましたが、世帯数の減少により管理が困難となり、消滅に至っておりました。
このようなタイマグラ地区への電気導入は、村政に携わった先人たちの悲願でありました。
私が現職に就任したのは昭和62年7月ですが、この電気導入計画が浮上したのは昭和60年でした。当時、私は村の議会事務局長の職にありまして、その内容、経過を幾ばくか存知しておりましたので、就任後の昭和62年8月、就任初仕事ということもあり実現達成の意を強く持ち、早々に国、県の関係機関に陳情を開始したわけであります。
その甲斐あって「へき地農山漁村電気導入促進法」に基づく事業として採択され、翌9月には、実情調査のため農林水産省から担当調査官が来村、現地調査を実施されたところで悲願達成の感を強く得たのでありました。
しかし、事業採択はされたものの、実施年度についての確約は得られず困惑このうえなく、前後の見境もなく県選出の国会議員の先生におすがりし、関係省庁への陳情には、先生の秘書の方の同行をいただきました。
昭和27年に制定された「農山漁村電気導入促進法」は既に30数余年を経過しており、本法によって未点灯地区は解消され、唯一未点灯地区は、本村のタイマグラ地区のみとの認識で陳情に臨んだわけでありました。
ところが、竹下登元総理大臣のお膝元の島根県にも未点灯地区がありまして、本事業の計画を本村よりも早い段階にて申請し、既に実施年度も決定しているやの情報を耳にし、愕然といたしました。
なんとしても昭和63年度実施が悲願であり、住民との約束を反故にできない一心から根気強く陳情を重ねました。
大蔵省主計局、農林水産省の担当官へ、三拝九拝の懇願も空しく努力は実りませんでした。
その経過を県選出の国会議員の先生に説明し、重い足取りで帰村した当時が思い出されます。
昭和63年度実施不可能と思い込んでいたやさき、昭和62年12月に63年度実施の採択決定の報が入り、感激一入で飛び上がる思いでございました。
事業主体を岩手宮古農業協同組合とすること等の諸手続後、いよいよ工事に着手したのは昭和63年11月でした。
冬期間のタイマグラ地区は、厳寒の地帯であり、さらに現場は峻険を極めており、工事の順調な進捗を祈るのみでございましたが、工事関係者の献身的な努力により同年12月27日、予定よりも1月早く、永い永い悲願が達成されたのでございます。
正月番組を、紅白歌合戦をテレビで観られる喜びは、待っていた者、それを与えた人々にとって感激このうえない喜びであったことを感慨にふけっております。