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村政施行150周年・村名変更60周年を経て~次の世代へつなげる、誇れる

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年8月31日更新

山梨県山中湖村長 高村 正一郎山梨県山中湖村長 高村 正一郎​​

 山中湖村は、霊峰富士山を望み、清らかな山中湖を中心とした豊かな自然と観光資源に恵まれ、観光を基幹産業として発展してまいりました。標高1000mに位置する風光明媚な村であり、四季折々に異なる景観を楽しむことができ、多くの人々に親しまれる観光リゾート地です。特に、昭和39年の東京オリンピック開催を契機に、高度経済成長と歩調を合わせながら、観光地としての魅力を高め、今日の礎を築いてまいりました。

 本村のスタートは、明治8年(1875年)からで、肥沃でない厳寒地で生活するには大変な苦労がありました。時代が進むと同時に富士山と自然を活かし大学寮、企業の保養所、別荘、ホテル等ができ、今日の山中湖村の原型が作られました。そして、昭和40年に中野村から名実共に山中湖を冠にした山中湖村へと村名変更し、国立公園の指定を受けさらなる観光振興、村政の発展を期したものであります。

 本年村政施行150周年、村名変更60周年、戦後80年、昭和100年の節目の年を迎え、これまでの村の歴史、記憶、記録を残し振り返る機会として後世へつないでいくためにも山中湖村アーカイブス展を開催したところであります。村の歴史全てを振り返ることはできませんが、それでも節目の年にこうして村民と共に過去の歩みを知るそのこと自体に意義があります。そして、村一体となって次の160周年、170周年へと歴史をつむぎ歩みを進めていかなければならないと思っています。

 私の村長への挑戦は、報道記者をしていた叔父の影響が大きく、政治の「忘己利他」の精神と村への恩返しという気持ちを持って、培った行政経験を活かし、これまでの村政を変えようと強い意識を持って臨み挑戦いたしました。挑戦3回目の際、女房には「あなた、今度落ちたらギネスブックに載るわよ」と冗談を言われ、苦労を掛けながらも家族一体となった結果と本当に感謝に尽きます。

 私が村長に就任した時は、全世界が新型コロナ感染症の真っただ中にあり、国全体が大変な時でした。村生活も一変し、特に観光村である本村にとっては、観光事業者への影響がありました。経営への不安感、村民は健康、日常生活への不安と危機的状況にあり、厳しい船出となりましたが、それでもウイルスにも災害にも強い村をと覚悟を決め取り組み、結果を出せた事に「ホット」しました。

 今、次世代へ確かな歩みをつないでいくためには、その礎となる基盤づくりと、さらなる飛躍・発展をめざした村づくりが何より重要です。村政150年、そして山中湖村としての60年の歴史と文化を礎に、挑戦する心を持ち続けながら、私が掲げる「夢と希望のもてる村づくり」「次世代へつなげる誇れる村づくり」を、いかに未来へ引き継いでいくかが、今まさに正念場であると考えています。

 そして、挑戦する村づくりに向かって、今後10年間の財政状況を見据えたシミュレーションを行い、現存する公共施設の老朽化への対応や、大規模事業である統合小学校の整備を着実に推進するとともに、創意工夫を凝らした持続可能な財政運営を構築してまいります。また、これらを次世代への未来への投資と位置付け、費用対効果を十分に検証しながら、村のネクストステージをめざしてまいります。本村では、本年「総合計画」と「総合戦略」を統合し、長期ではなく中短期を計画期間とする「むらづくり計画」を策定しました。村づくりの主役である村民の皆さまと「ワンチーム」となり、対話と協働を大切にしながら、笑顔があふれ心の通う明るく豊かな村づくりを進めてまいります。それが、次の時代へとつながる未来への道であると考えています。また本年度、町村友好連携協定を茨城県八千代町と締結いたしました。地域性の異なる自治体同士のつながりと、今後の交流に期待するとともに、関係者の皆さまに感謝いたします。

富士山と山中湖

 最後になりますが、富士山と山中湖に囲まれたこの地で生まれ育ったことを誇りに思っています。この村の魅力は、いつまでも変わりません。機会がございましたら、ぜひ山中湖村へお越しください。