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小笠原移住から今を振り返って

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年8月3日更新

東京都小笠原村長 渋谷 正昭東京都小笠原村長 渋谷 正昭​​

 20歳、私はダイビングを目的に、東京から約1,000キロ南にある小笠原諸島父島を訪ねました。当時は、東京竹芝桟橋から父島まで39時間を要するちちじま丸に乗り、船酔いしながら小笠原に着きましたが、そんな苦労が吹き飛ぶきれいな海が待っていてくれました。ただ、その時はまだ小笠原を知っただけで、移り住むことまでは考えず、ダイビングを楽しんで島を離れました。

 25歳、地方のまちづくりに携わりたいと思い、小笠原村役場の採用試験を受け、いよいよ島に移り住みました。

 その移り住んだ先、東京都小笠原村。今ではおがさわら丸という船で、24時間で到着します。島へのアクセスは船便しかなく、週に1便程度の運航で、村民も観光客も、米も野菜も肉も、おがさわら丸で運ばれます。

 小笠原村は、戦後、米国の統治下に置かれました。戦後間もない頃は、ごく一部の島民にのみ帰島が認められ、昭和43年(1968年)の日本返還後、本格的な村づくりが始まりました。さらに返還の際に日本最東端の南鳥島から日本最南端の沖ノ鳥島を含む広大な範囲が、国により小笠原村と定められ、小笠原の島々によって、日本の排他的経済水域の3分の1を有しています。

 そんな村に入庁して、30歳の時には小笠原諸島返還記念事業として行ったホエールウオッチングに携わりました。続けてウオッチングルールづくりや協会設立を手掛けるなどして、観光振興に寄与できたと自負しています。その後、国内でエコツーリズムという観光の考え方が広がった際には、小笠原のホエールウオッチングはエコツアーの始まりとも言われました。

 今では、自然を守りながら利用し、地域の振興にも資するエコツーリズムの村として、エコツーリズムを基軸とした観光振興を図っています。

 40歳の時からは、東京連絡事務所勤務となり、当時の村長や議員に随行し、国や東京都への要望活動や国政、都政の議員の皆さんへの陳情を見ながら、結果として政治的な動きを学んだことが、今に至っていると感じています。また、村政は村だけで動かせるものではなく、多くの人の理解と協力によって動いていることも学ばせていただきました。

 村に帰ってからは、総務課長、産業観光課長、そして再度総務課長を経て副村長、村長と務めさせていただいています。

 その間、世界自然遺産の登録に携わり、国や都と連携・分担して遺産価値の保全のための外来種対策に取り組みました。また、エコツーリズムの一層の充実を図り、エコツー推進法に基づく基本構想づくりに奔走しました。副村長になった時は、コロナ禍の対策で、来島前のPCR検査実施を、都をはじめとした多くの機関と連携して実施するなど、苦労も多くありました。

 現在、村長就任から5年目を迎えています。今年3月には、国から、南鳥島を対象とした高レベル放射性廃棄物地層処分に関する文献調査を実施したいとの申し入れを受け、大きな話題となりました。

 私にとっては突然の申し入れではありませんでしたが、村民の皆さんにとっては唐突な話であったことから、さまざまなご意見をいただいているところです。

 この機会にぜひ全国の町村長の皆さんにお願いしたいのは、この高レベル放射性廃棄物の処分は、日本国民全員が知るべきことで、文献調査を受け入れた町村だけの問題ではないことをまず理解してほしいと思います。

 そして、私は国に対して、南鳥島を有している小笠原村と先行して調査を実施している3町村だけでなく、1ヵ所でも多くの市町村に申し入れするよう要請しています。

 南鳥島は、村民の住む父島・母島からは、本土よりも遠い1,200キロ先にあります。小さな島ですし、本土からだと2,000キロ近く離れていますから、処分施設の建設は容易ではありません。多くの地域との比較検討が必要です。

 最後に小笠原の魅力をお伝えします。

 沖縄本島北部と同じ緯度にある小笠原諸島父島・母島は、亜熱帯の気候で、冬でも温暖です。

 観光では、1月から4月にかけてホエールウオッチングが盛んで、1年を通してイルカを見たり泳いだりできます。

 また、山では、固有の動植物を観察したり、見晴らしの良い場所から絶景を楽しんだりと、豊かな自然を満喫できます。

 農業ではパッションフルーツ、ミニトマト、レモンが3大産品で、それらを使った加工品も販売されています。

 漁業では、縦縄漁法によるメカジキやソデイカが獲れ、底物ではオナガダイ、ハタ類が獲れ、本土に出荷されています。

 このような魅力溢れる小笠原の村長として村民の幸せを願い日々精励すると共に、村民の1人として小笠原暮らしを楽しんでいます。