福岡県糸田町長 森下 博輝
〈歴史と文化の町糸田〉
糸田町は、福岡県のほぼ中央に位置する自治体で、面積は8.04km²と県下2番目に小さい規模の町ですが、歴史と文化香る町であります。
西側には、神武天皇が東征の途中、悪天候の中で一羽の烏に導かれて峠を越えたという伝説が残る「烏尾峠」があります。
また、この地域は、太宰府へ通じる古官道に近く、豊前国と筑前国の境界にも位置していたことから、古くから交通の要衝として栄えてきました。さらに、豊前・筑前両国にまたがる武士団を統率し、治安を維持するうえでも重要な場所であったため、北条一族の糸田貞義が居城とした「糸田城」が築かれました。
加えて、豊前と筑前の国境には、現在も史跡として「国境石」が残されています。現代においても、この地は田川の玄関口として栄えています。
町名の由来は、烏尾峠に隣接する関の山から湧き出る「泌泉」が、100町歩の水田を潤すほどの量を誇り、「いとよき田」が転じて糸田町になったと言われています。現在では湧水量が減少しているものの、泌泉の名を冠す「和太鼓たぎり」が広く知られ、全国大会で史上初の3連覇を達成した実績もあります。
さらに、300年の歴史ある2つの伝統行事があります。その1つは、「糸田祇園山笠」で、宝永5年(1708年)に流行り病が起こったため、大宮八幡の近くに祇園社を勧請したことが始まりで、5月の第2土曜日・日曜日に実施され、担ぎ山の勇壮さが注目を集める町全体が盛り上がる伝統行事でフォトコンテストも実施しています。もう1つは「田植祭」で、毎年3月15日に、金村神社で行われる春の農業の出発として、その年の豊作を祈る伝統行事です。創始の時期は不明ですが、享保16年(1731年)の「田川郡神社寺御開帳」に現在とほぼ同じく石菖を使用したことが記録に残っており、「道の駅いとだ」である「おじゅごんち市場」の語源にもなっています。
〈令和の始まりの取組〉
歴史的背景を感じさせる糸田町で、令和の始まりとともに町長を拝命しました。町長就任後、新型コロナウイルス感染症が発生し苦慮しました。全国一斉休校の措置がとられ、オンラインでの教育が声高に言われましたが、「人は人のシャワーを浴びて人になる」との思いもあり、学校・保育所等の環境整備が最重要施策として取り組みました。臨時交付金を活用して、各教室にオゾンによる除菌作用のある空気清浄機を設置し、さらに除菌・抗菌作用のある光触媒を塗布して感染対策に努めました。
また、町立緑ケ丘病院にPCR検査機をいち早く導入し、クラスでコロナが発生した時、生徒全員のPCR検査を実施することで、クラスター発生の抑制を図りました。「教育は国家百年の計」と言われており、教育環境の充実は必要不可欠であります。
教育で言えば、田川は田川で1つの思いもあり、田川市郡各市町村長の協力を得て教師塾(鴻志塾)を立ち上げ、社会の各界、各層から講師を招きスペシャリストとしてだけでなくゼネラリストとしての教師の資質向上をめざす研修会を立ち上げました。
さらに、コロナ禍で公立病院の存在意義についても考えさせられました。
町長就任時、町立緑ケ丘病院は老朽化しており、79床での病院建て替えの方向で議論されていました。しかし、専門的知見や田川圏域地域医療構想、町の財政状況を包含した総合的な議論が十分になされていたとは言えず、閉院も視野にゼロベースから検討することにしました。そうした経緯の中、コロナ禍になり、県での濃厚接触者の検査が滞る中、小・中学校や保育所等で、コロナ感染者が出たクラス全員を町立病院にてPCR検査を早期に実施し、クラスターの発生が抑制でき、町立病院を有する利点を感じました。
また、厚労省が2025年を目途に、「高齢者の尊厳の保持と自立生活支援」を目的として、可能な限り住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けられるよう、地域包括ケアシステムの構築を推進していることもあり、高齢化が進むわが町において、町立病院の重要性を改めて実感しました。高齢者がいつまでも元気に暮らせる環境整備に寄与し、これから需要が増える高齢者救急についても積極的に受け入れをすることで、早急に医療、リハビリの提供が行えるようになります。また、感染症の拡大への備えとしても新型コロナウイルス感染症の感染拡大時の教訓を生かし、速やかな診療体制の確保と拡大防止への対策を機敏に打てることは町立病院を持っている町の強みにもなると確信しています。令和4年度から過疎地域に指定されたことも相まって、「糸田町立病院整備基本構想」検討委員会を立ち上げ、病院建設に舵を切り、現在実施設計の段階であります。
町政運営において、さまざまな施策が考えられますが、町立病院を有することで糸田町に住む町民にとって安心安全な日常生活を送れることにつながります。医療と介護の切れ目ない提供体制の確保と将来を見据えた病床機能分担により、町立病院を建て替え、維持していくことは必須であると考えています。
地方行政施策として、最低限、医療的アクセスの確保と教育環境の整備を柱にして、町政運営を進めてまいります。