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耐雪梅花麗(ゆきにたえばいかうるわし)

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年5月25日更新

愛知県設楽町長 土屋 浩愛知県設楽町長 土屋 浩​​​

 西郷隆盛の五言律詩の一節で、「厳しい雪に耐えてこそ、梅の花は可憐に美しく咲く」という、私の好きな言葉です。

 設楽町は、愛知県の北東部、東三河地域に位置し、豊川、矢作川、天竜川、3水系の水源になっており、町の90%以上が山林に囲まれた、森と水が調和した自然豊かな美しい町です。

 昭和・平成の大合併を経て、今年、合併20周年を迎えました。合併時の人口は6,300人、そして現在は4,000人と過疎化、高齢化の中で、いかに将来像を描いて行くか、という課題を持つ町です。元々の町の主要な産業は林業で、昭和の40年頃までは、木材を都市部に搬出する鉄道網も整備されていましたが、長引く林業の不振に伴い、鉄道も廃線となり、町の在り方も大きく変わって行くこととなりました。

設楽ダム
 この町を語る時、設楽ダム事業を外すことは出来ません。この原稿を書いている今、設楽町がある東三河地域は、昨年来の降水量の激減により深刻な水不足となり、連日、全国ネットのニュースで報道される状況になっていますが、この設楽ダムの建設は、これまで幾多の水不足を経験してきた東三河地域の総意として下流域から要請を受けたものです。現在、国、県により鋭意進められていますが、計画当初は、町を挙げてダム建設反対でした。その後、本当にさまざまな場面がありましたが、町の将来の姿を描くと共に、東三河地域一帯の発展に資することをめざし、設楽ダム建設事業を受け入れる、という方向に転じてきました。この間、昭和48年のダム建設の申し入れから調印までに36年、平成21年の調印から今日までに17年、併せて53年という長い年月の経過をみています。調印に際しダム受け入れを「苦渋の決断」という言葉で表現されました。124世帯が水没移転対象となり、多くの先人の皆さんの、本当に長い年月を費やした葛藤や、気の遠くなるような話し合いの時を経た決断は、今日に至る町の歴史だと思っています。そして、この平成21年の調印に際し、設楽町議会として受け入れの賛否を問う議決がされました。私自身も、当時、議会議員として、多くのテレビカメラや報道陣の中で、緊張感を持って起立した時のことを、大変、鮮明に覚えています。

森と水のちからと人の営みが調和するくらしと出会いのまち
 これは、設楽町総合計画の中に定められている、町がめざす将来像です。設楽ダム受け入れの原点は、「設楽ダム事業を起爆剤に、町の活性化につなげる」というもので、その時々の人が町の将来像を描き、その達成に向けて、調印の条件となる確約事項を定め、調印がされました。この将来像には、先人の皆さんが多くの時間を掛け、議論を積み重ねてきたものが根底にあります。

 そして今、設楽ダムの完成を8年後に控え、多くの確約事項の履行、具現化を図る時を迎えています。53年という長い時の経過は、さまざまな一面を見せてくれます。時代の変化・進化と共に可能になるもの、逆に、時代の変化・進化と共に厳しくなるものといろいろありますが、一番難しく感じるのは人の思いです。現在の住民の皆さん、そして役場の職員もそうですが、年月の経過と共に、設楽ダム調印前の住民の皆さんの思いを知らない人が増えています。これは、調印時に定めた確約事項の履行にも影響し、必要性を問う人も出てきます。

 私自身、町政を担わせて頂く所に立ち位置が変わりましたが、設楽ダム調印前の住民の皆さんの思いを、辛うじて知る者の一人であります。先人の思いを引き継ぎ、将来世代に負担を強いることの無い時代に合ったものとし、しっかりと創り上げていくという役割を考える時、この重責に身の引き締まる思いがします。

 耐雪梅花麗にある、「可憐に美しい花を咲かせる」。長い歴史をつないできた設楽町ですが、今、まさにその時だと思っています。今こそ、住民の皆さんと思いをひとつにして、立派な花を咲かせたいと思っています。