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豊かな自然と歴史遺産を次世代に受け継ぐ

印刷用ページを表示する 掲載日:2026年4月20日更新

大阪府河南町長  森田 昌吾大阪府河南町長 森田 昌吾​​​

 河南町は、大阪府の南東部に位置し、南河内地域にあります。町内には鉄道駅がないため、交通手段は、隣接市の駅までのバス交通となっている大阪府内でも数少ない町です。

 私が生まれた年、昭和31年に石川村、白木村、河内村、中村の4村が合併し、河南町が誕生しました。町の人口は9,000人余りで、当時は、のどかな田園風景が広がる自然豊かな農村でした。

 ナスやキュウリなどの生産地として、町内のいたるところでビニールハウスが立ち並び、促成栽培で生産、大都市近郊という立地をいかした農業が営まれていました。

 金剛葛城の山々を背に、日本最古の官道 竹ノ内街道にほど近いところから、古くから開けた地域でありました。大和の飛鳥に対し、難波津に近いところから「近つ飛鳥」と呼ばれたこの地に一大文化の華が開き、町内には多くの古墳が点在しています。

 およそ100基の古墳を保存している近つ飛鳥風土記の丘には、建築家安藤忠雄さん設計の古墳時代をメインテーマとする「近つ飛鳥博物館」があり、多くの来訪者に親しまれています。風土記の丘内にある古墳の石室内に入ることもでき「黄泉の国」が体験できます。また、全国的にも珍しい円墳が二つ重なった瓢箪の形をした全長100mを超える双円墳の金山古墳があり、築造当時に復元保存をしています。

 わが町は、本年、町制施行70周年という節目の年を迎えます。昭和40年代に初めて大規模住宅団地が造成され、新たに多くの住民の入居とともに人口が飛躍的に伸びることとなります。その後、二つ目の大規模住宅団地の開発などもあり、平成17年には人口17,545人の町へと発展し、農業と住宅団地の町という顔を持つようになりました。

 また、昭和39年には、町北部に浪花芸術大学(現大阪芸術大学)が開校し、学生たちが町内に住むとともに、通学する学生も多く、大都市郊外の町でありながら、夜間人口よりも昼間人口の方が多い数少ない町でありました。大阪芸術大学からは多くの芸術家が巣立ち、有名人も多数輩出しています。

 地域の農家と都市住民の橋渡しとなる道の駅かなんと併設の農村活性化センターが平成16年にオープン。地元産の野菜や果物を主に、農家の育成と新鮮な農産物を提供する拠点となっています。

 道路、公共下水道などの都市基盤整備が進む中、最も重要な都市基盤ともいえる公共交通の問題があります。バス交通に依存している本町で最もショッキングな出来事が令和5年に起こりました。この地域の交通を大正時代から担っていた金剛バス㈱の廃業であります。この地域の4市町村にまたがり15の路線を運行していました。すべての路線から撤退するというもので、乗客の減少はあるものの、公共交通が抱えてきた乗務員確保、道路運送法による2024年問題などによるものでありました。令和5年12月20日をもって事業廃止との通告をうけ、近隣4市町村でその対応を協議いたしましたが、どのバス運行事業者も乗務員確保の課題を抱え、事業の継承に手を挙げてくれるものがありませんでした。粘り強く協議を重ねた結果、コミュニティバス方式で受けていただける事業者があった訳でありますが、すべての路線を運行できず、近鉄バス、南海バスのほか、地方公共団体が運営する自家用有償運送により運行路線、運行本数の減少はあったものの廃止の翌日の21日からバス交通を確保できました。住民の皆さんの移動手段を確保することの重要性を改めて痛感いたしました。住民の皆さんの安堵した顔は今でも思い浮かぶことがあります。

 この河南町の70年のあゆみは、先人諸先輩方のご尽力によるものでありますが、住民の一人ひとりの営みにより、わが町を自然、歴史、文化の礎に立ち、自然と歴史に恵まれたまち、教育、子育てのまち、道路などの都市基盤の整ったまちへと発展を遂げさせることができました。これもひとえに住民の皆さんへの感謝しかありません。

 今後も、少子高齢化が進展する中、住民の皆さんが住んでよかった、これからも住み続けたいと思っていただけるまちづくりを進めてまいります。

 町制施行70周年を新たな出発点として、さらなる発展をめざし、住民の皆さんと共に先人たちが築きあげた豊かな自然と文化を次世代に引き継ぎ、魅力ある河南町の実現に邁進してまいります。