香川県琴平町長 片岡 英樹
「よっ、高麗屋!」
客席から飛んだその大向こうの声が、江戸天保時代の今から一九〇年前に建てられた旧金毘羅大芝居の空気を震わせた瞬間、私は思わず目頭が熱くなった。令和六年、四国こんぴら歌舞伎大芝居の再開である。今年四月、第三十九回の公演を迎えるにあたり、私はあの苦渋の日々を改めて思い返している。
旧金毘羅大芝居(金丸座)は、現存する日本最古の芝居小屋だ。江戸時代そのままの「桝席」に座り、「ぶどう棚」と呼ばれる天井を仰ぐと、電気照明すらなかった時代の観客たちの息遣いまでもが聞こえてくるような気がする。
この小屋で本格的な歌舞伎興行が復活したのは、昭和六十年(一九八五年)のことである。瀬戸大橋が開通の三年前。国指定重要文化財での歌舞伎公演は極めて先駆的な試みであり、文化財保護と公演の両立、人力の舞台機構の活用、文化庁や松竹との交渉など、当時の先人たちが乗り越えた苦労は計り知れない。「金丸座という宝を、ただ保存するだけでは意味がない。ここで再び芝居の灯を灯してこそ、真の文化財保護になる」――その信念が、不可能と言われた挑戦を現実のものとした。
以来四十年近く、琴平町民が誇るこの芝居小屋で、毎年四月、十六日間にわたり昼夜三十二回の本格的な歌舞伎公演が繰り広げられてきた。全国から訪れる観劇客は約二万人、事業費三億円以上をかけた公演は、十億円を超える経済効果を地域にもたらすと言われている。私たちにとって単なるイベントではない。町の誇りであり、町の命であった。
その灯が消えたのは、コロナ禍のことだ。令和二年、第三十六回の公演中止を決断したのは、公演初日のわずか三週間前である。直前になっての開催中止の発表は、まさに断腸の思い、苦渋の決断だった。
しかし、その決断を一層重くしたのは、皮肉な事実だった。コロナ対策として世に広まった「三密を避けよ」という言葉――密閉・密集・密接。実はこの三つは、こんぴら歌舞伎そのものの魅力を言い表しているのだ。江戸時代の芝居小屋そのままに、桝席にぎゅっと身を寄せ合い、役者の息遣いや汗までも感じられる距離で舞台と向き合う。その「密」こそが、金丸座でしか味わえない唯一無二の臨場感であり、全国の歌舞伎ファンが琴平をめざす理由そのものだった。感染防止のために「三密を避ける」ことは、こんぴら歌舞伎の本質を否定することと同義であった。代替策も、妥協策もない。やるか、やらないか――その二択しか存在しなかった。
そして、小屋の耐震補強工事「令和の大改修」と重なり、また三年間開催を見送った。何度も見送りの決断を下すたびに、関係者の落胆する顔が脳裏に浮かんだ。
だからこそ、五年ぶりに再開された令和六年の幕開けは忘れられない。花道を歩む役者の足音、三味線の音色、そして満員の桝席を埋めた観客の笑顔。「待ってました!」の掛け声が重なるたびに、失われていた時間が一気に戻ってくるようだった。文化の力とはこういうものか、と私は改めて思い知らされた。どれほど時代が変わり、困難が続こうとも、人が人として生きることへの渇望は消えない。歌舞伎が長きにわたって愛されてきた理由が、そこにあるのだろう。

香川県琴平町は、「四国は讃岐のこんぴらさん」と親しまれる金刀比羅宮の門前町として栄えたが、人口八千人足らず、約八㎢の小規模自治体である。その小さな町に、コロナ禍後に約二百三十万人を超えるまで観光客が回復している。しかしその魅力の根底には、金丸座をはじめとする文化的蓄積がある。観光資源とはつまるところ、地域が長い年月をかけて育んできた「本物」に他ならない。昭和六十年、先人たちが不可能を可能にしたように、それを守り、次の世代へ手渡すことが、町の使命だと思っている。
今年四月も第三十九回の幕が上がる。「よっ、待ってました!」――その声のために、この灯を絶やさない責任を、私たちはこれからも担い続けていく。