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原発がある町から、原発もある町に

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年5月19日更新

佐賀県玄海町長 脇山 伸太郎佐賀県玄海町長 脇山 伸太郎​​

 私の町、玄海町は佐賀県の北西部に位置し、玄界灘に面した人口5000人弱の町です。1956年(昭和31年9月)の2村合併で玄海町となりましたが、私はそのひと月ほど前に生まれました。平成の大合併では、周りの9市町村が一つとなる中で、唯一、玄海町だけが地理的に唐津市に囲まれた町となりました。原子力発電所を有しており、普通交付税不交付団体で、安定した財政状況であるため独立して町を運営していく力があると予測し、独自の道を歩むことを選択しました。

 現在、我が町も多くの自治体同様、少子高齢化の波に立ち向かう挑戦の中にあります。かつては平衡状態にあった出生と死亡の数が、今や出生の方が大幅に減り、徐々に町の活気が消えかけ、県内において「消滅可能性自治体ナンバーワン」となっています。議員時代から抱き続けてきた町の問題に対する理解を胸に、町長就任後はそれらの課題を解決するため、実効性のある政策を掲げました。教育や福祉、産業振興をはじめとする町の未来を描く政策、そしてそれらを実現するための政策推進室の設置、PDCA思考を活かした対策会議の開催等により、公営学習塾の開校、地域商社の設立等、一つ一つの政策を具現化することができました。その取組が評価され、2024年、早稲田大学マニフェスト研究所主催のマニフェスト大賞で、「優秀賞」を受賞。最優秀賞は逃しましたが、その経験は次へのステップアップへとつながりました。

 少子化対策の一環として、子育て世代に向けた独創的な施策を行っていますが、町の活力源である「雇用」の確保にも注力しています。隣り合わせの唐津市とは違い「雇用の場」が乏しい我が町。そこに意識を向け、企業誘致等の経済活性化策を導入、町の生命力を取り戻すための奮闘を続けています。元来、第一次産業の町であり、中山間地で平野部が少なく、町では、これまで企業誘致団地等の整備がされてない状況でした。廃校舎を利用したデータセンター誘致を始まりとして、全国の自治体でも例のない一歩として「ローカル5G 高速通信網の整備」を導入。その結果、数々の企業誘致の契機が生まれています。電力を大量に消費するAIデータセンターや蓄電池産業といった分野で、原子力発電所の存在が大きな助けとなっています。原発があるからこそ電力の安定供給が可能となり、そのほか国からの電気代補助制度により、企業誘致の新たな道筋がひらけています。これからさらに、町独自の企業誘致補助金の設立・拡大を図り、町の産業振興に取り組んでいく次第です。 

 玄海町には、県立唐津青翔高校があります。ここ数年は毎年、募集定員割れの状況でしたが、特色ある教育を提供する一環として新たに「e-SPORTS」や「デジタルアート」の新科目が設けられ、町が整備した高速通信網の活用により新たな風を吹き込むことが可能となりました。こうした県・高校・町の協力を通じ、地域振興・発展、教育環境の整備をめざしています。そして、今後は県外からの留学生や新進企業の誘致により、若いエネルギーに溢れた賑やかな町へと生まれ変わることを期待しています。先日、ローカル5G関連会社主催で開催したeスポーツイベントは、東京をはじめ全国からの来場者が400名と大盛況で、県外からの訪問者が玄海町を初めて知るきっかけとなりました。これらの新たな展開が可能となった今、大きな企業誘致に向け躍進しています。

 最後に・・・ただ一つ、町長になって残念なことは、議員の時と違い、町長になると自由な時間が少なくなり、これまでの自分の大好きな趣味ができないことです。しかしながら、これらの取組が幾らかでも町民の皆さまの笑顔につながることが、新たな私の喜びになっていると確信しております。

 (故)岸本英雄・前町長が生前口癖のように言われていた「原発がある町から、原発もある町にしたい」という言葉は今でも印象に残っています。今後も困難な課題に直面することもあると思いますが、一つ一つを乗り越えていく所存です。人と町が活気にあふれ、すべての人が心豊かに暮らすことができる「小さくてもきらりと光る町」の実現のために、全力で取り組んでまいります。