佐賀県吉野ヶ里町長 伊東 健吾
吉野ヶ里町は、佐賀県東部に位置し、町名の由来となった吉野ヶ里遺跡や、臨済宗の開祖栄西禅師が宋から持ち帰った茶の種子を播いたことから日本茶樹栽培発祥の地と伝わる霊仙寺跡など歴史資源に恵まれ、北は脊振山系、南は田園地帯がひろがる豊かな自然に囲まれた町です。
町内では南北を縦貫する国道385号と、東西を横断する国道34号が交差し、長崎自動車道東脊振インターチェンジ、JR長崎本線吉野ヶ里公園駅が立地するなど、交通アクセスにも恵まれています。
我が町は、はるか弥生の昔より、多くの人が行き交う場所であり、その光景は現在に受け継がれています。
平成元年2月、「邪馬台国時代の最大級の環壕集落跡発掘」のニュースが日本中を駆け巡りました。魏志倭人伝に記された姿そのままの古代史ロマンに、歴史愛好家ならずとも一目見ようと、2ヶ月間で100万人の人が見学に来られました。
今では国営吉野ヶ里歴史公園として整備され、町内観光の拠点として、国内外問わず年間70万人を超える来園者で賑わっています。
町の北部に目を転じれば、佐賀平野と脊振山地を一望できる「ひがしせふり温泉山茶花の湯」や、「道の駅吉野ヶ里 さざんか千坊館」に、森の高低差と自然の立木を活用したアスレチック施設「アドベンチャーバレー・SAGA」等、県内外の皆さまに楽しんでいただいています。
町の人口(約16,300人)は、地方における人口減少が進むなかでもほぼ横ばいを維持しており、65歳以上の人口比率は、鳥栖市と並んで県内で最も低くなっています。これは、昭和29年に開設された陸上自衛隊目達原駐屯地の存在もひとつの要因だと考えられます。戦前、太刀洗陸軍飛行学校の分校として目達原飛行場が創立された歴史があり、町は駐屯地とともに発展してきました。引き続き自衛隊とは共存共栄の関係を大切にしていきたいと考えています。
町の活力を維持するため、さらなる人口増加をめざし、町内に家を新築・購入される若い世帯に定住奨励金を支給し、令和2年度から実に250件近くの若者世帯が町内に居を構えることにつながりました。
企業誘致にも力を入れており、交通利便性に優れることから、これまでも多くの企業に立地していただいていますが、現在、複数の候補地に企業進出計画が進み、雇用の場の拡大と町の発展に資するものと、大いに期待しているところです。
平成18年の町村合併により吉野ヶ里町が誕生して以来、分庁方式により2ヵ所の庁舎で業務を行っていましたが、用件によっては、約5キロ離れた庁舎に来庁していただく必要があり、現庁舎の老朽化も進んできていることから、令和8年7月竣工をめざし、新庁舎建設に着手しています。
外観のモチーフは吉野ヶ里遺跡の主祭殿に求め、吉野ヶ里町のシンボルとして相応しい庁舎となる予定であり、その場所も吉野ヶ里公園駅から徒歩圏内、インターチェンジからも車で5分以内とアクセスがよく、町の中心部に位置することから、町の新しい中心地を構成する主要な施設として機能するよう想定しています。完成後は来庁される皆さまに心地よい時間と空間を提供できるよう事業を行ってまいります。
並行して町のDX化も進めており、AIを活用し最適な時間とルートを算出し、移動をもっと便利にする乗合型デマンドタクシー「よしくる」の運行を昨年度から始め、大変好評をいただいております。
これからも、弥生の時代から先人たちが築いてきたこの町を後世につないでゆくべく、「ひとよし・まちよし・住んでよし 快適ふるさと吉野ヶ里」をめざし、町政運営に努めてまいります。