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新幹線の生みの親「島秀雄氏」に憧れ、夢のレールを走り続ける

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年10月21日更新

埼玉県上里町長埼玉県上里町長 山下 博一​​

 日本経済がオイルショックで揺らいでも、高度成長期を支えた東海道新幹線は列島を縦断し、九州博多まで延伸した。逆境を乗り越え、我が国の未来を切り開いた新幹線を見るたび、人生の師と呼べる二人の恩人を思い起こす。

 一人は、私が東京大学工学部研究生として、指導を受けた猪瀬博名誉教授。アメリカ・ベル研究所で「デジタル交換機の父」と称され、デジタル社会づくりをけん引してきた。

 そしてもう一人が、卓越した技術者として新幹線をつくった島秀雄氏である。両名と出会い、ご指導を賜り、育てていただいた忘れがたき思い出をたどりたい。また、現在、上里町長として取り組んでいる未来への町づくりについてお話しする。

 昭和39年10月10日、私は東京オリンピック開会式の中継映像にくぎ付けだった。上空のヘリコプターから映された、時速200kmの新幹線は、まさに夢の超特急だったのである。

 私は農家の長男として生まれたが、中学生の頃から生粋の鉄道少年で、近くを走る高崎線の電車や機関車を見るのが好きだった。当時通っていた学習塾の先生は、「これから日本は工業国になる」と言っていた。大学をめざし普通高校への進学を考えたが、結局、工業高校へと進んだ鉄道少年は、自ずと新幹線に興味を持った。高校卒業後には、ぜひとも新幹線の仕事をしたいと思い、品川区高輪にある島秀雄氏の自宅を訪問した。突然の見知らぬ高校生の訪問にもかかわらず、自宅に招き入れ激励していただいた。なお、島氏は現職の時には国鉄技師長を務め、新幹線開業時には国鉄を去っていた。

 島氏にお会いしてから2年後、国鉄の就職試験を受け、東海道新幹線支社に就職することになった。職場は東京駅を見下ろす、新幹線の頭脳とも言えるCTCセンター。アイボリーホワイトの車体と、ブルーのラインが輝く0系新幹線を時速200kmで走らせ、黄色い車体の「ドクターイエロー」を運行するグループと同じ職場である。働きながら都内の夜間大学に通いたいと思っていたら、国分寺にある中央鉄道学園大学課程を受験するよう上司に勧められた。同課程における3年間の授業は、国立・私立大学の著名な先生による充実したものだった。卒業前には、ヨーロッパの鉄道を視察する3週間の一人旅も経験した。

 卒業後の職場は工事局で、東海道山陽新幹線の博多開業の即戦力として、現JR東海・大井車両基地の信号システム設計と現場監督を25歳で任された。無事開業を終えると、次の東北・上越新幹線運行管理システムのプロジェクトが待っていた。私は、最先端のコンピュータ技術を学びたく、社内選抜試験を受けて、東京大学工学部猪瀬研究室に研究生として1年間派遣されることになった。

 研究テーマは「コンピュータによる自動運転方式の研究」だった。猪瀬先生は91年に、島氏も94年にそれぞれ文化勲章を受章した。私の人生において、日本を代表する技術者から指導を受けたことは大変栄誉なことである。

 また、研究生終了後には、現埼京線の運行管理システムの開発に従事した。当時では高性能のマイクロコンピュータを活用した分散型列車運行管理システムを開発したが、性能を引き出すのに大変苦労した経験がある。新幹線の生みの親、島氏の生きた20世紀はモノづくりの世紀と言われているが、その言葉の重みを過酷な経験を通し改めてかみしめた。

 私は国鉄がJRに変わる時、民間会社からスカウトされ情報システム部門で働くことになった。新技術部門を担当し、1990年代のインターネットの躍進に合わせ、インターネットVPN技術の普及促進に努めた。特に海外事業のネットワーク化を推進し、中国・オランダ等の海外企業におけるネットワーク構築を実用化して、成功例として複数のコンピュータ誌に取り上げられた。

 その後、大手電機メーカーと共同でITシステム会社を立ち上げたが、地元有志から民間での経験を町づくりに活かして欲しいとの要請を受け、上里町長に就任した。政策目標として「選ばれる町、住み続けたい町」を掲げ、

 ①中心市街地のコンパクトシティ化+ウォーカブルな町づくり

 ②「子育て支援日本一」を目標にして、子育て支援策を実施

により、「次世代の町づくり」の実現をめざしている。今後も町づくりに、さらなる情熱を注いでいきたいと考えている。

 最後に、私の人生の師である、お二人に対して共通する点は、技術革新の先進性と、時代を先読みすることの重要性を学んだことだ。島氏の新幹線開発事業は時代の先駆者であり続けた。猪瀬先生は1962年にデジタルシステムの実証的研究分野で多大な成果をあげ、デジタル時代の到来を予見していた。心から敬意を表するとともに、深く感謝申し上げ結びとする。