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小さな町の大きな挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年9月30日更新

大分県玖珠町長 宿利 政和大分県玖珠町長 宿利 政和
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 大分県の西部にある玖珠町は、人口13,800人ほどの小さな町で、大分市中心部と福岡空港の中間に位置し、高速道路を使用すれば各々1時間ほどで移動が可能です。鉄道や主要道路で結ばれた交通の要所にあります。

 特に、福岡県久留米市と大分市を結ぶ「国鉄久大本線」保線区の拠点であった「豊後森扇形機関庫」は、昭和40年代まで使用されましたが、機関車のディーゼル化に伴い、現在は「近代化産業遺産」として観光施設に生まれ変わり、多くの鉄道ファンを魅了しています。

 この扇形機関庫から一望できる「伐株山(きりかぶやま)」は切株の形をしていることから、「むかし、大きな楠の立木があって、田畑を日陰にして影響を及ぼしていたが、大男が現れて大木を切り倒して村を救った。枝にあった鳥の巣がトス(佐賀県鳥栖市)に、葉っぱの跡がハカタ(福岡市博多)に、いくら大木でもここまで来るめぇ!(届かない)(福岡県久留米市)」と命名されたという民話が残っています。

 当町は、世界を回り、童話の世界を広め、「日本のアンデルセン」と呼ばれた口演童話作家の久留島武彦生誕の地です。「童話の里玖珠町」と銘打って児童生徒の情操教育と合わせたまちづくりを進めています。

 久留島武彦翁は「信じあうこと。助け合うこと。違いを認め合うこと」、また「継続は力なり」という言葉を残しています。まさに人権尊重や地方創生の現代社会の到来を明治・大正の時代から想定していたのかもしれません。

 また、このことは、疲弊している暮らしや経済に明るい兆しを取り戻そうと、町民の総力を結集しながら粘り強く取り組むことの大切さを唱えていることと同様ではないかと思います。

 「まちづくりはひとづくり」とよく言います。当町におきましては各分野で将来を担うこども達の人材育成の一環として、地域の文化・歴史・暮らしを学び、故郷を誇りにしてもらうために、自主性を高め表現力を育む「調べ学習」として、ICT教育やコミュニティースクールを充実させました。令和4年度に「文部科学大臣賞」をそれぞれの部門において賜りまして一層の励みとなりました。

 また、一方で核家族化や共働き家族の増加など家庭環境の変化、価値観の多様化、社会不安などを背景に、当町においても不登校の児童生徒が増えていました。教育委員会は「誰ひとり取り残さない教育」を掲げて、文部科学省がすすめる「学びの多様化学校」を、九州・沖縄エリアの公立小中学校では初めて令和6年4月に新設開校させるに至りました。

 他方、産業面では農林畜産業の振興や、デジタル地域通貨の導入などで消費喚起と地域内経済循環につなげようなど、可能な限りの対策に着手しているところでもあります。

 このような中で、令和6年4月下旬に「消滅可能性自治体」に関するマスコミ報道がありました。これまで関係人口を増やし経済効果を引き出す施策について、いろいろな自治体の取組を数多く見てきましたが、人口減少対策として移住や定住につなげるハードルの高さについて、今回の報道を通じて痛感・再認識させられた機会でもありました。

 玖珠町では、旧中学校舎の利活用として開設したサテライトオフィスに、この2年間でIT関係企業など6社が入居してくださり、若い方々も徐々に増えています。「人・仕事・まち」地方創生の観点からも、活気と勇気につながっている感があり、今後の企業誘致にも力が入ります。

 とりわけ、IT関連企業の誘致は、遊休施設や空き家活用の面でも企業・事業所の入居につなげることも可能です。地元の若者にとっても「ネット環境があれば、都会へ出なくても地元に居ながら都会と同じ仕事ができ、同じ水準の報酬が得られる」と認識できるような夢の環境が整いつつあると思われます。

 近年のように出生数が低下する中でも、仕掛け・仕組みづくりによって「社会減を抑制する」可能性はあると思われ、「玖珠町に生まれ育ったこと、玖珠町で暮らしたこと」を誇りに思えるよう「小さな町の大きな挑戦」を粘り強く展開していきたいと思っています。