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「消滅可能性都市」からの脱却 ―「千年続く循環するまちづくり」―

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年7月29日更新

神奈川県二宮町長 村田 邦子神奈川県二宮町長 村田 邦子​​

 「消滅可能性都市」このセンセーショナルな烙印と共に、10年前、二宮町長に就任しました。二宮町は神奈川県の相模湾に面した、東西南北約3km、面積約9km²、人口約26,800人の小さな町です。それから10年、職員、町民と共に移住定住政策を進め、今回、「消滅可能性都市」から外れることができました。この間、コロナ禍においても、オンライン移住相談会を毎月開催し続けました。二宮町の相談会の特徴は、職員の説明だけではなく、相談相手は先輩移住者で、良い所も悪い所も、あるものもないものも、包み隠さず生の声でお答えしてきました。その結果、高齢化による人口の自然減はありますが、転出者より転入者が多い転入超過、社会増が続いてきました。その他、官民協働での空き家対策、小児医療費や中学校給食費の無償化、小中一貫教育の推進など、子育て・教育政策にも力を入れてきました。二宮町が近年「住みたいまち」として注目されているのは、海あり山あり緑ありの自然の豊かさに加え、個性的で魅力あふれるお店や多種多様なイベントの開催があります。町民との協働によるエコフェスタの開催、子どもたちと発表した気候非常事態宣言、そして今年度の、にのみや気候市民会議の開催に結び付きました。このにのみや気候市民会議は、専門家の方々から、「全国的にも町レベルで開催している自治体はまだ少ない」、「コンサルを入れずに自前でやっている」、「参加者の最年少が11歳(大体が13歳)から」という点で評価されています。

菜の花と富士山 二宮町は子どもから大人まで、やりたいことができるまちです。なぜそう言えるかというと、実は私自身、移住者であり、35年前に東京都日野市から、サラリーマンの夫と双子の息子たちと、二宮町に転入してきたからです。当時、海の見える所に住みたいと、湘南の海沿いの物件を探し、紹介されたのが二宮町でした。今、町長である私がその時言ったことは、「二宮町ってどこですか?」東京から見ると、鎌倉、大磯、小田原などは有名でも「二宮町」なんて聞いたこともない。しかし懐深くおおらかで温かい二宮町で子育てし、生活する中で、大好きな二宮町のために何かできないかと思い、町議会議員を2期8年、県議会議員を1期4年務めた後、町長選挙にチャレンジしました。これまでの歴代の町長は、二宮生まれか二宮育ちで、もちろん女性町長も初めてです。

​ 現在3期目ですが、東日本大震災以降続く熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震などの大震災がありました。ここで重要なことは、実は二宮町役場庁舎は、神奈川県内で耐震基準不十分な残り3自治体の一つだということです。いつ来るかわからない大震災に備えて、新庁舎建設は急務です。選挙の争点にもなりながら、地域現場に出向き、議論を重ね、最後はブレることなく、3期目でようやく設計にこぎつけました。ゼロだった庁舎整備基金も計画的に積み立てることができました。

二宮町の海岸線

 今回、二宮町は消滅可能性都市から外れましたが、若年人口を近隣自治体で奪い合う状況を続けていても、やがて立ち行かなくなることは目に見えています。子育てや教育費の無償化などの給付型政策による自治体間の競争も限界に近づきつつあります。

 今、二宮町では家でも学校や職場でもなく、自由に交流し、ほっと一息つける多世代の第3の居場所「サードプレイス」が、町民有志の力で次々と生まれています。今後、町行政、地域とどのように連携し、個人の多様な可能性が実現できるか、危機感が増す今、まさに官民の覚悟が問われています。子どもをまんなかに「千年続く循環するまちづくり」への歩みを進めていきます。